2014年6月28日土曜日

開いた口がふさがらない


最近の政治や公の仕事に携わる人達はどうしたのだろう?変な、おかしことを言ったりしたり、常識に欠けるというか、品格がないというか、聞くに堪えないような野次を飛ばしたりする。自分や自分の属するグループの利益や権益を守るために、または、真実を押し隠すためにか、どうにでもとれるような発言や発表をしているように見受けられる。そこに見え隠れするのは保身であり、エゴであり、自分の地位や優位性を利用した「いじめ」や「いびり」であり、責任逃れである。

具体的には、首相の推進する集団的自衛権の問題であり、都議会での野次と自民党の対応、JR北海道での引きも切らない事故、更に東電の奥歯に物の挟まったような、時宜を逸した発表などである。勿論、何人と言えども完全無欠ではありえない。誰でも欠点を持っている。だからと言って政治家が品格を欠くような発言をしたり、性急な、自分本位な行動をとってもらっては困る。

国民を代表し、国の将来に責任を持つ公人たちはそれなりの覚悟と矜持をもって、口を開く前によく考えて欲しい。発言した暁には、その発言に責任をもって欲しい。何にも増して、国民の幸せを第一に考えて欲しい。これができない人は政治家として失格である。特に、国民の安寧とか「いのち」に関わるようなことは、拙速を避け、じっくりと討論・審議を重ねるべきだ。集団的自衛権の問題も過去75年間憲法9条の拡大解釈に頼ってきた問題だ。慌てて今日・明日に結論を出さなくても時間をかけて国民が納得する形で結論を引き出した方が良い。日本の憲法は世界に誇れる「平和憲法」であり、第二次大戦後我々は一度も戦火を交えず平和国家を維持してきた。それを徐々に、国民の参加もなしに、将来の国民が戦いに参加させられるような方向に引きずってゆくようなやり方には疑念が残る。

国民としても、このような状態に満足しているわけにはいくまい。一人ひとりがじっくりとどのような将来が到来するのか考える必要がある。集団的自衛権が国会で、閣議決定で決まれば、国民の間に戦死者が出ることになるだろう。第二次大戦で我々が経験した苦悩、つまり、治安維持法だの、沖縄の人々が戦火に巻き込まれて多数命を落としたこと、日本中の都会が空襲で火の海になったこと、広島と長崎への原爆投下、世界的な生命・財産の損失など、二度と繰り返してもらいたくない。我々国民としても自分たちの子や孫の命がかかってるのだから、他人事と考えずに、日本はどうすれば良いのかこれらの問題をじっくり考え、必要な行動をとらなければなるまい。特に”お母さん方”に「これからの命の在り方」についてよく考えることをお願いする次第である。

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