2012年8月30日木曜日

いのち 8

 この世の中、どんな人生を送るのか?何を目的として生きていくのか?


それが何であろうと、先ず心がけならないことは「心身ともに健康で、病気にならないこと」ではなかろうか?若いうちは、ともすると、自分が病気になるとか、死ぬとかについては余り考えず、心の命ずるままに食べ、飲み、活動し、精いっぱい生きていこうとする。そして、「健康管理」などということは心の片隅に追いやられているのでなかろうか?でも、人間、常に健康で元気でなければ何も成就出来ないのは明白の理である。無茶な生き方をしていれば、時を経ずして必ず病気になる。そして、それは時として「ガン」であったり、成人病と呼ばれる糖尿病や心臓まひであったりする。ガンなどの病気となると、普通の人は慌てて病院に駆けつけ、手術、化学療法、放射線治療、などと現代医学のお世話になるのが普通である。しばらくすると、医師から「はい、あなたの体内からガン細胞が消えました」という御託宣を頂く。しかしながら、非常に多くの場合、同時にあなたの免疫力・自然治癒力そのものが一連の対ガン治療で低下し、その御託宣の後間もなくこの世におさらばというケースが多い。

 こう考えると、私たちは「生き方=健康管理」に対する認識を根本的に変える必要があることに思い至る。つまり、あなたが生きていく上で、どう生きていくのか、どうすればいつでも健康で、活動的でいられるかということを普段から考え、お医者さんや薬品のお世話にならずに済むかという「すべ」を身につけなければならないということである。 

 人が健康に生きていく上で留意しなければならないことは、少なくとも三つある。その一は、何をどうやって食べるかということである。その二は、普段どの様な「心がけ」で生活をしていくかということ、第三は身体を動かす努力をすることである。

 こう並び立てると、案外簡単だなと思われるかも知れないが、実行となると迷いが出たり、「理性」や「科学的知見」が働いたり、執着や他人の意見に振り回されたりされ勝ちである。

 先ず第一番目の食事について考えてみよう。私たちが毎日食べるものが生きて行くうえで不可欠であり、食べたものが体質や気質を形づくっていくことに関しては議論の余地はないであろう。つまり、お菓子や果物など甘いものや、水っぽいものが好きな人はいつの間にかぶくぶくと肥って、どちらかと言えば、ニコニコとしている。その反対に、肉類が好きな人は固太りで、非常に活動的であると同時に直情決行型の人が多い。そして多くの人は、肉類が好き、甘いものも好き、アルコール類もよく飲む、そして、健康維持のための乳製品や薬品類も多用している。つまり、現代人は心の命ずるままに飲み、かつ、食らいて老いていく。そして、引退の時期になると、アルツハイマーやパーキンソンなどという厄介な病と直面せざるを得なくなり、他人様のお世話になって余生を送る破目になる。これは自分が夢に描いた「楽しい人生」であろうか、それとも、無意識に楽しく過ごした日々の結果が「悲劇」として終わるのであろうか? この選択はあなた自身が手遅れになる前にしなければならない。

 健康に生きようと思ったらそのための決意と努力が必要である。でもこれは大げさなことではない。一言でいえば、飲食に関しては必要な知識を仕入れ、生活を「ほどほど」にということにつきる。

 日本という土地で生まれ、そこで、健康で満ち足りた生活を志すのなら、先ず私たちの食生活において、口に入れるものは、住んでいる場所(日本)で生産された「旬」のものと言うことである。そして、これは、パイナップルやバナナは食べない、冬にはナス、トマトやキュウリなど夏の野菜は頂かないということを意味する。そして、生産され、販売されている食品は無農薬、有機農法によるものが望ましい。主食は出来る限り、精白されない全粒の穀物、つまり、玄米、が最も望ましい。味噌や醤油は有機、国産の大豆を使って時間をかけて熟成されたものを選ぶ。大根やニンジンは根の部分だけではなく、葉の部分も頂くことが推奨される。工場で生産され、添加物だらけの食品、白砂糖を多用したケーキ類、動物性蛋白やアルコールの摂取はなるたけ減らす、食事に際しては腹いっぱい食べず、お腹が満腹する前の80%位でやめておく、口に入れた食物は、最低50回くらいは噛むと言ったことを実行すれば健康と長生きは約束される。つまり、日常の生活においては贅沢な食事をせず、栄養価の高いものだけを食べず、全てほどほどに、質素に食べようということである。当然のことながら、ファストフッドやジャンクフッドは避けた方がよい。

 NPO2050の中国代表をしている孫若恒教授は今年97歳になる。彼は我々と共に山に登り、植林をし、現地の農民たちを指導しているバリバリの現役の方である。彼の食生活は「少食、質素、良く噛む」ことに徹していて、病気知らずである。

 私たち人間は宇宙や自然環境からのエネルギーなどの影響を受けて生きている。これらに関しては余り選択の余地はなく、人間が選べるのは「何を毎日食べるか」ということ位である。そして、その選択が一人ひとりの健康状態を決めて行く。つまり、自分の健康と生命は自分で守るということである。だが「選択」となると、自分の欲望、嗜好、執着、世間や学校で刷り込まれた科学的知見、医師や薬品会社の言い分などなどに振り回されて、何をどう食べるのかなど考えるのが面倒になりがちである。そうなると、これは第二の「心がまえ」または心の持ち方の問題となる。これは、この次に論じよう。

2012年8月18日土曜日

いのち 7







人と生まれても、いのちを比較的に「ないがしろ」にされているグループの人たちがいる。それは開発途上国に貧しく生まれた若い人たちだ。若い男女とは10歳から24歳までの年齢層で、世界に約18億人いる。この人たちは平均1日¥150前後で生活することを強いられ、そのうち1億人は学校にも行かしてもらえない。理由は「貧困」だからだ。国連事務総長の最近の報告によれば、「2010年末には7510万人の若者が雇用されておらず、雇用されていても1億5200万人は給料が低く危険な仕事についている・・・2000~09年には、後発開発途上国に住む20~24歳の女性の31%が18歳以前に出産している・・・毎日15~24歳の3000人がHIVに新規感染している。多くの思春期の少女や若い女性は性的な暴力や虐待に曝されている・・・アフリカでは1億~1.4億人が女性性器削除を受けている」とのことである。当然、少女の人身売買や児童婚も数限りなく見られる。

 元気に満ち溢れてはいるが、読み書きが碌に出来ず、定職もなく、毎日ブラブラしている若者たちが町にあふれ、集まって、興奮を求めるとなれば何がおこるであろうか想像するに難くない。そこに見られるのは社会不安であり、往々にして部族間の抗争であり、この様な若者を利用しようとする様々なグループである。そして、必然的に危険に曝されるのは同年代の女性たちである。そして彼らのいのちがいとも簡単に消えていく。多くの途上国の政情が不安であり、世界に争いが絶えないのも「むべなるかな」である。

 世界人口の1/4に当たる若者たちが年齢に応じて学校に行くことができ、世の中の秩序を守ることを覚え、まともな職に就くことができ、その上自分たちやまわりの人たちのいのちを大切にすることを学べば、世界は確実に平和に向かって行く。そのため、国際社会は事あるごとに、若者に教育を、職を、リプロダクティブ・ヘルスをと決議している。でも、現実は決して途上国の若者のたちにとって生易しいものではない。彼らが聞くのは常にスローガンであり、見るのは厳しい現実である。そして、政治家の不作為や私たちの無関心が彼らの信頼感を損ね、いのちを粗末なものとしている。

 国際社会は、MDGsの目標実現に向けてそれなりの努力を重ね、ある程度の成果を見せている。だが、私たちの努力は満足ということからは程遠い。彼らにとって必要なのは、1)正しいリプロダクティブ・ヘルスの情報であり、必要とするサービスの入手である。2)いのちを育み、健康に生活するための食料と情報の入手である。3)世の為に貢献する若人を育成する教育であり、職業訓練である。そして、4)男女を問わず、お互いに助け合い、慈しみ合うと言う精神構造である。これは、現在の国際社会の支援のあり方ではたやすいことではないが、やりようによっては効果を上げることが出来る。それは、先進国の若人たちを動員して、ピアー・エジュケーション(若者同士の相互啓発・支援)や人間開発プロジェクトを積極的に導入することだ。日本の「青年海外協力隊」やアメリカの「平和部隊」はその先駆けとなり得るし、様々な民間組織も途上国の需要に応えるプロジェクトを支援出来る。世銀や国連諸機関、先進諸国の政府が民間組織と手をつなげば、必要な資金、技術を提供できるし、お互いの長所を生かして、途上国の問題解消や政情安定にも寄与できる。そして世界が少しずつ平和に向かう。これはやれば出来ることである。

 各国の若者を動員して、正しい食べ方や生き方の勉強をさせればHIVや他の感染症に対して有効な対処ができる、教育の普及を図ることで児童婚や女児の虐待を減少させることが出来るし、女性に対する不平等や不当な扱いを減らして行くことが出来る。更に、教育は若者たちを社会の有用な人物に育てることができる。要は、こういうお手伝いが出来る人たちが「手を伸ばす」のか伸ばさないかにかかっているのだ。世界で不遇をかこっている若者に充実した人生を送らせ、世界の将来を明るいものにするのか、それとも、今の逼塞した状態に放置しておくのか、全て私たちの考え方や地球の将来にどう対処するのかという決意が重要なカギを握っているのだ。

 さあ、私たちは何をすれば良いのだろう? 今まで通り、自分のことだけ考えていれば良いのか、それとも、皆で世界の将来を明るいものにするために一歩踏み出すのか、この辺で決めなければならない。日本の若者が立ち上がり、世界平和の魁となることを願うのみである。





2012年8月1日水曜日

いのち 6

若し貴女のご両親が「うちは貧乏な上に、貴女は女の子なんだから」という理由で、学校へ行くこと、お医者さんにかかること、ご飯を男の兄弟と一緒に十分に食べることなどを否定した場合、貴女はどう感じますでしょうか?また貴女はどの様な人生を送ることを許されていると思いますか?貴女はたいていの場合、家庭内の男性の意思に振り回され、栄養不良で発育不全、人間としての存在を否定されるような経験を強いられるでしょう。先ず、読み書きのできない、自分の意思をはっきり述べることの出来ない半人前の存在で、水汲み、炊事、洗濯、家畜の世話などに従事し、長ずるに従って男性から「子どもを産む道具」としか認められない人生を送ることになるでしょう。そこには人間としての尊厳も基本的人権もありません。自由意思も許されません。5-6歳くらいから踊りを習わさられ人前で踊ることを強要されたり、売春をさせられたり、時には借金のかたとして歓楽街に売り飛ばされることも良くあります。


 アフリカ大陸あたりですと、戦争がおこり一国の軍隊が攻め込んできますと、戦略として、その土地の女性たちを兵士たちが片端から凌辱することが良くあります。また、女性性器削除や家庭内での「名誉殺人」、胎児が女性と判明した場合の中絶などなど、女性を標的にした男性からの不平等な仕打ちは数限りなくあります。この分では女性の命はいくつあっても足りません。

 現在、世界では2分ごとに一人の女性が妊娠・出産に関した疾病で亡くなっています。これは妊産婦が誰でも医療の恩恵に預かれば避けられることです。ですが、それが難しいのです。理由は?僻地に住む貧乏な女性の命を守ろうという政治的な決意が為政者(男性)の間に欠けているからです。先進国に住む私たちに、途上国貧困女性たちの運命に対する関心と思いやりの精神が欠けているからです。

 上に述べたことは南アジアからアフリカにかけて日常見聞できることのほんの一部です。日本の様に社会開発が進み、教育や保健制度の発達した国では想像もつかないようなことがまだまだ世界の女性の健康と命を脅かしています。私たち日本人が途上国の女性たちの為に出来る最低の事は、少なくとも、彼女たちが天命を全うすることができるようお手伝いすることではないでしょうか?日本が戦後社会開発を成し遂げたその教訓や経験を途上国の支援に役立てましょう。途上国の女性たちが新しいいのちを産むために自分の命をなくすことがないようにお手伝いをしましょう。そのためには、日本は国際社会で指導的な立場をとり、家族計画・リプロダクティブ・ヘルスの普及を図り、そのための国際支援を増額すべきではないでしょうか。日本の経済力から考えると僅かなお金で世界中の女性の命が救えるようになるのです。

 世界が平和になるためには、世界中のいのちが育まれ、人為的な理由や不作為によって人命が損なわれることがないということが大前提となります。具体的には世界中の女性が健康で、不平等や不合理に悩まされる事がなく、健全ないのちを産み、育むことの出来るということです。そして、家庭内で、地域社会で、子どもたちにお互いに愛すること、思いやりの精神を持つことを教えることでしょう。そのために、今必要なのは、女性に対する偏見や不平等を撤廃し、恵まれない女性たちに支援が行きとどく世界を作ることです。また、女性の声が世界の政治や経済で尊重され、政策に反映されることです。日本の国民と政府はかっての様に国際社会で音頭取りをしましょう。途上国の貧しい、恵まれない女性たちのいのちを救うためにODAを増額しましょう。そして、子どもたちの将来が安泰であるよう、世界中で殺しがなくなり、女性が不当な扱いを受けない社会を築くよう、皆で一歩踏み出しましょう。