2013年12月3日火曜日

原発ホワイトアウト

 現役の官僚が原発について書いたという「原発ホワイトアウト」という小説が巷で評判になっている。ホワイトアウトというのは白色の修正液(固有名詞)である。つまり、間違った字句を修正し、その上に書き換えることを可能にしてくれるものである。テレビ番組の説明では、著者は原発に関する情報を入手できる人で、自分の知る情報または同僚から入手した情報に基づいて書き上げた小説であるそうで、いかに原発を巡る情報が恣意的に歪曲されているかを示すものだそうである。そう聞くと、これは買って読まなければならないかなと気になるが、同時に、今の経済界、政界、官界の動きを追っていると「さもありなん」という気になる。結局、我々は誰でもきれいごとを並べて自己主張するが、その主目的は自分の、または、自分の属している団体の擁護であり、権益の擁護である。そのために、知られたくない情報はできる限り隠匿し、発表しなければならない情報にはホワイトアウトを使用する。同時に、国民には、「政府」の発表は信用できる、「お上」は頼りになるという印象を植え付ける努力は怠らない。国民の大半は、少なくとも今までは、国家や国民に関する問題について考えることはお上に任せてきた。でも、ここにきて、教育委員会といじめの問題、都知事の返答、ミノモンタの降板や諸外国での指導者たちが抹殺されている情報などに次から次に接しているとお上の発表は簡単に鵜呑みにはできないという気になっている。この問題にはあちこちで「ひび」が入り始めているようである。お人よしの日本人もだんだんに目覚めてきているような気がする。

 そこに持ってきて「特定秘密保護法案」が衆議院で採択された。これは国防や軍備に関する情報の保護だというが、戦争中の日本における言論統制を思い返すと、また、世界各国で行われている様々な報道管制やそのやり方を見ると、背筋が寒くなる。このような法律が成立する時点では、いかにも無害に見えるが、時間が経つにつれて法律の字句が拡大解釈されて息苦しい社会になるのが恐ろしい。そうならない様にするのには国民の一人ひとりが意識を高め、基本的人権を守るという覚悟が必要だ。

 大人たちが自分の将来をお上に託して目先の「収入」に気を奪われるのは、自分の責任においてすればよいのだが、心配なのは、今福島原発の後遺症として頑是ない子どもたちが内部被曝または胎内被曝に曝されているということだ。聞くところによると、福島あたりでは奇形の植物や昆虫、動物が頻繁に目につくということだ。これらに関する報道が少ないのはもちろんだが、放射能が胎児や幼児に対して脅威であるという報道になるとそれは皆無である。地方自治体も避難した人たちの帰還を促進するのには急だが、子どもたちの健康を保障する、安全を守るという手段については寡黙であるようだ。

 政府は経済活性化のために原発再稼働を推進しているが、廃棄物処理の方法を明示できない限り、また、放射能による内部被曝、胎内被曝の問題を解決できない限り、再稼働は無責任と断言できる。今や、私たちは、子どもの将来を守るため、彼らの健康のために、小泉元首相の「原発ゼロ」に同調し、日本国民の健康のために立ち上がり、声をあげるべきではなかろうか?

みなさんのご意見はいかがなものだろうか?お金のために原発再稼働を容認するか、それとも、少しは自分の生活程度を落としてでも子どもたちの健康や将来のために「原発ゼロ」運動を小泉さんとともに推進するべきだろうか?
これは大変に重要な問題であるのでここはよく考えて頂き、日本と子どもたちの将来のために手を打つようお願いしたい。