2015年4月13日月曜日

春になったが
311日の東日本大震災の4周年を迎え、私たちは福島原発罹災者たちの苦難に思いを馳せ、亡くなられた方々の冥福を祈らせて頂いた。その後、春のお彼岸で「熱いも寒いも彼岸まで」といよいよ桜が満開となり、陽気が良くなるかと思いきや冬に逆戻りという気象の不順さを体験させられている。そういう気象条件や気温の急激な変化で体調を崩すのは高齢者のみに限ったことではない。一方、国際社会では各国に大気温暖化対策を発表してもらい、温室効果ガスの削減目標を示すよう努力中である。かって我が国は世界の環境問題対策では世界に誇れるものであったが、現在ではすこぶる歯切れが悪い。国内経済の振興に目を奪われ、世界の人々の幸福や安心、地球規模の利益などは忘れさられているように見える。
日本の将来は世界の将来の在り方にかかっている。日本がこれからやらなければならないのは、地球の将来の為に、異常気象、海面上昇や干ばつの対策、人々の食糧の確保、原発事故の未然の防止などである。日本にはこういうものに対する技術が有る。無いのは世界の為、地球の為に、リードを取って実施するという政治的決断である。
日本は過去4年間源発を稼働せずともその経済を維持できるということを実証してきた。現在の福島における東電のもたつきを見れば原発は敢然として廃止し、地熱、太陽光・熱による発電、その他の再生可能エネルギーに切り替えるべきではなかろうか?ドイツはそれをやろうとしている。ドイツが出来ることは日本でも出来る。地熱発電には時間とお金がかかるなどと言って実施を先延ばしにすることは、関係者たちが目先の金儲けのことしか見ていないしるしで、悲しいことである。
日本政府が一刻も早く、思い切った温暖化ガス削減目標を発表し、温暖化対策のリーダーになることを切に祈るものである。


2015年4月4日土曜日

天皇・皇后両陛下慰霊の旅

 49日には天皇・皇后両陛下におかれては、パラオ ペリリュー島に赴かれ、第二次大戦で命を落とされた日米の戦没者の為に哀悼の辞を捧げられる。これは両陛下の常にお持ちの心持ちの現れである。更に、両陛下は東日本大震災の被災者や犠牲者に対して常に哀悼のお言葉を賜り、両陛下が、戦争や大震災・天変地異の被害者の方々においたわりの心を絶えずお持ちであり、戦争の痛ましさ、悲惨さを繰り返すことなく、平和が何物にもまして重要かとお考えの表れである。

このお気持ちは国民全部で共有されるべきではなかろうか?

 これに引き換え、一般の国民はこのような悲惨な経験を強いることになる戦争や大災害に関して何を考え、どのような対策を取ろうとしているのだろうか?正直言って何も考えず、自分たちの生活だけに意識を集中している人が殆どではなかろうか?「そんなこと言ったって、この俺に何が出来るんだ!」と反論する人が多数だろう。そして、自分や子・孫の将来を決めることは政治家や官僚に任せておけばよいと責任逃れだ。一方、首相や一部の政治家は、今までのブレーキのかかった政治体制を「改善」し、出来れば憲法を改革し、様々な悲哀が生ずる原因を作りだすことを厭わない。更に、経済活性化の為には原発は再開し、輸出して日本の再生を図ろうと勇ましい。

 世間に様々な意見を偏らずに伝え、国民に考える種を与え、正しい行動を起こさせる役目を持っているはずの「メディア」は何をしているのだろう?彼らが専心しているのは「揚げ足取り」か、問題の本質から目をそらさせるような論評である。実に悲しい。

 どうだろう皆さん、天皇・皇后両陛下のお考えを真摯に受け止め、両陛下のお心をわが心として、ほんとうに我々は憲法改正を試みるのか、若い人たちが戦場で彼らの命を散らすような状態を作り出すのか、そして、広島、長崎、福島で経験した悲劇や悲しみを繰り返す可能性を、日本のみならず世界中で作り出していくのか、よく考える必要があるのではないだろうか?私たちは、悔を千載に残すことの無いように、一人ひとりがこれらの問題に立ち向かうべきだろう。