2014年10月24日金曜日

国連デーに思うこと


 1024日は国連デーである。それは一体何を記念して設けられたのかわからぬ人が多い。それは一言で言えば、「国連のお誕生日」である。あの悲惨きわまる第二次世界大戦が終わり、世界中の国々が集って「これからは平和な世界を築こうよ]と末永く祈念するために生まれたのが国連デーなのだ。

 あれから70年にならんとするこの世界。幾らかでも平和になったろうか?人々は笑顔を絶やすことなく生活できるようになったろうか?世界中の人々に十分な食糧はとどいているのだろうか?我々が吸い込む空気、飲み込む水、口にする食品は安全なのだろうか?世界のどこに住んでも人間としてまともな生活が保証されるようになったろうか?男女間の差別は、人種間の差別は?貧富の差はどうだろう?ところが私たちが今専念していることは、自分たちの主張を声高に言い張ることと、お互いに殺しあうことのようだ。

 このような現実を控えて、国連加盟の政府は毎年集まって、解決策を論じ、ああしよう、こうしようと決議をしている。でも、成果は?と問われるとどの政府もどの国際機関も胸を張って返事はできない。ある程度の進歩は認められるものの、最近の国連決議の中でこれが大成功だと言えるものはない。

この不甲斐なさというか不完全さの原因はどこにあるかというと、それはいま世界を覆っている経済最優先という考えにある。世界中の人が「お金、お金」と狂奔し、その行動のもたらす影響に頓着しないからだ。そして、もう一つの大きな原因は、数ある国連加盟国のうちで、世界中の人達を幸福にしようなどと考えているのは殆どないということだ。殆どの加盟国は自国の国益(利益)という観点からすべてを判断している。わが日本の政府はその典型例だ。日本はかっては世界一の支援国。それが今ではどんどんと滑り落ちている。1997年度のODA11687億円。それが今では5500億円と半額になっている。特に国連を通じてする支援はどのような「国益」をもたらすのかとはばからない。これは目先の利益だけを取り上げて、50年~100年先の人類や世界のあり方や、日本が将来受けるであろう恩恵や「本当の国益」を十分に考慮していない現れだ。実に情けない国に成り下がったものだ。

これも、我々国民が何を求め、どんな世界を子孫の為に残していくべきかというようなことを考え、それを為政者に伝えていないことを物語るものである。

今世界の政治情勢も、環境問題も、あらゆる社会問題も破局を迎えんとしている。手をこまねいていていいのだろうか?皆で考え、行動を起こさなければ後悔をすることになる。皆さんのご意見を伺いたいものだ。

0 件のコメント: