2012年11月26日月曜日

いのち 12

 先日みのもんたの番組で年金問題を取り上げ、これからの老人の負担が増大すると活発な意見を戦わせていた。考えてみれば、年金問題だけでなく、国家および個人の医療費も年々増えるのみで、日本の財政破たんは近いうちに訪れるのではなかろうか、また、老人の夢見ている社会保障の行き届いた安心の生活など夢のまた夢でしかないということに気付く。高齢化がどんどんと進行している日本の社会にあって政策や対策が近視眼的、その場限りということが問題解決を先送りしているのだ。


 一方、国民は豊かさを満喫し、好きなだけ、食べたいものを食べ、飲みたいものを飲んでいる。そして、肥満体が増え、血圧が上がり、生活習慣病が蔓延する。心身の機能が低下する。そして、現行の制度のもと、少しでもどこか具合が悪ければすぐ医者に駆けつける。医者はありとあらゆる診断法を使って慎重な診断を下す。そして、簡単に手術を行い、多量な薬を処方する。薬品業界と保険業界があの手この手で業績を伸ばす努力をする。かくして、国民は自ら健康管理をすることなく、全て「政府・医者まかせ」で、結果は「医療費の増大」である。

 病気にならないように、不断の努力をする人は数えるほどしかいない。一旦、病気にかかってしまえば、日本の医療制度はいくらでも対策を講じ、お金もどんどんと使われる。ただし、病気にならないための努力に関しては、予防法も予算も全くお粗末である。そして、その結果、国家の医療費がウナギ登りというのは頂けない。こう考えると、日本の社会はどこか狂っているとしか考えられない。本当の意味での「公衆衛生」というか「健康のための教育」というものが欠如しているのが日本の社会ではなかろうか?

 病気にならず、健康を維持するために必要なものは「足るを知る」ということである。好きだから、とか、美味しいからという理由で、好きなものを際限なく食べれば時を経ずして必ず病気になる。同様に、毎日、添加物の入った食品を口にしていれば、体は音をあげるだろう。骨も脆くなり、記憶力も低下する。節度のある食生活を維持し、頭を使って身体に良い食物を選んで頂くと言う努力はそれぞれの市民がすべきことである。そこで、私たちは「事前の選択」を迫られることになる。手遅れになる前に私たちはライフスタイルを確立し、死ぬまで健康に、医薬にそれほどお世話にならずにすむように節度のある生活をしなければならない。さもないと、国家の医療費は際限なく上昇し、老人の生活は尊厳のないものとなろう。

 どんなライフスタイルを選択し、どの様に生きて、どのように死んで行くのは個人の考え方しだいである。でも、あなたの選択が後に続く世代に精算を迫ることとなろう。さあ、あなたはどんな決断をし、どんな余生を送るのだろう?

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