2014年12月30日火曜日

年の瀬に思うこと


 今年は様々なことが起こった。そして、2014年もいよいよ終わりだ。もうすぐ年が明け、我々は新しい覚悟と信念を持ってやるべきことをやり、言うべきことを言わねばならない。

 今年で一番記憶に残るのは、生まれ変わった2050だ。旧来の運営方針を捨て、新しい人達の感覚と経験に基づき、新生を期し、ようやくその活動に自信がついてきた。次は自民・公明内閣による急な衆議院解散と選挙、そしてその結果としての投票率と人々の期待感や失望感、次々と起こる異常気象・天変地異とそれらのもたらす人や財産に対する損害、相も変わらぬ国を挙げての「お金」への執着、考えることは他人(ひと)任せの国民性、政治家や官僚の「その場限り」の対応等、数えだすと限りがない。従って、年末はゆっくりと日本と世界の将来を案ずる時間を持ち、対策を練ろうかと思う次第である。

 ごまめの歯ぎしりで、いくら我々が喚いても大部分の人は、「わが道を行く」とか「俺が、俺が・・・」と聞く耳を持つまい。そして、日本は、世界は、静かに終末に向けて歩を進めて行くだろう。でも、2050は諦めない。やるべきことと言うべきことは実行し、心ある人々と共に世直しをするつもりだ。ただ一つ、神様にお願いしたいことがある。それは、今度の選挙の結果を盾にとって、国民から白紙委任状を頂いたとて、政治家が好き勝手な政策を国民に押し付けることが無いようにと言うお願いだ。首相が選挙の争点にしたのは「アベノミクス」であり、憲法改正ではない。原発再稼働でもない。集団的自衛権でも、近隣諸国とのお付き合いの方法でもない。もう一つ、付け加えたいのは、首相の一言一句が、政治指導者たちのちょっとした行動が、日本の行方を左右するということだ。彼らが靖国神社の参拝を続ければ,そして、靖国神社が戦犯の霊を分祀しない限り、どのような弁明をしようと、日本は右傾化していると解釈される。一国の宰相や、国民の安寧に責任を持つ政治家として、50年~100年先を見据えたビジョンに基づく慎重な言動を期待する次第である。

 来る年は、2050からのメッセージが皆さんに沢山届くことになると、会員の皆様にはご覚悟願う次第である。事務局は地球の行く末に危機感を持って国民の皆様の啓発に心がけるつもりである。「またか、うるさいな」と片づけず、一読して頂いて、少しでも共感するところがあったら周りの人たちと共有し、討論して頂きたい。それが、地球の将来を守る第一歩だからだ。

 次にお願いするのは、額の多少に関わりなく、自分の出来る範囲内で私たちの活動の為の拠金・募金活動にご協力をと言うお願いである。一番安いのは毎日コンピューターを開いたら、必ず、2050のホームページを見て頂いて、なにか新しいことを画策しているのかと検索して頂く事と、コスモ石油の(http://www.cosmo-oil.co.jp/kankyo/charity/index.html)を開いて頂いて、
コスモ石油エコカード基金の支援によるプロジェクトの中から「シルクロード緑化」をクリックしていただくことだ。すると、あなたに代わって、エコカード基金が1円献金してくれる。

 資金の豊富な方々には、シルクロード緑化プロジェクトの目的達成のために必要な投資をお願いしたい(乞2050のホームページ参照)。それほど裕福では無い方々には、世の中から不公平と貧困をなくし、環境を保全するために、年6,00010,000円程度の出費を、支援をお願いしたい。皆様からの支援によって多くの貧困女性が、子どもたちが、人並みの生活を夢見ることが出来るようになるし、大気中の二酸化炭素を軽減し、次の世代の人々が安心して住める地球を築くことに貢献できるようになるのだ。

 さあ、みんなで築こう健康で安全な世界。そして、皆でにこにこと暮らそう。

 

2014年11月24日月曜日

再生可能エネルギーの買取り


 電力会社が太陽光などの再生可能なエネルギーの買取りを拒否するという動きが最近のマスコミをにぎわせている。一体全体、日本と言う国のエネルギー政策はどうなっているのだろう?政治家、官僚、電力会社が一致団結して原発の再稼働を推進し、そのために、ありとあらゆる選択肢を封じ込めようと知恵を絞っているようにしか見えない。原発再稼働を既定方針とし、そのためにありとあらゆる説明と言い訳を用意している。九州川内の原子炉再稼働に賛成という地元、県知事などを見ていると、すべては「お金」のため、という意図が見え見えだ。

 何故これらの人達は「人の命」や安寧を無視し、今までの投資を無駄にしたくないとて、目先の経済的な効果のみを追求するのだろうか?福島の悲惨な経験から何の教訓も得なかったのだろうか?これから大災害は起きないとか、または、起きても対応できると確信しているのだろうか?何が起こってもすべてに迅速に対処できるという自信を得たのだろうか?どう見ても、人の命よりお金の方が大切だという考えが先行しているようにしか見えない。

一つだけはっきりしているのは、これから何を選択してもお金がかかるということだ。廃炉にするのにも、地熱発電所を建設するのにも、大変なお金がかかるだろう。原発継続でも廃棄物の処理に莫大な投資が必要だし、最終的な処理法も確立されていない。これからのエネルギー開発のための出費は政府と電力会社によって究極的には消費者にしわ寄せされる。消費者にしてみれば、どうせお金を払わされるのなら、いのちが安全で、子や孫たちの将来を心配しなくて良い方法を選びたいというのが本音だ。

 政府は再生可能エネルギーを原発に変えて取り上げるべく、すぐさま、国を挙げて取り組むべきだ。一部の人達が経済的に潤うことを目的とせず、将来の日本国民全員が安心して住める社会の為のエネルギー確保という考えで、色々なアプローチをすべて国民に提示して、原発再開との優劣を示すべきだ。複数の選択肢を示して欲しい。現在のように、送電線が足りないとか太陽光は天候に左右され過ぎて供給が不安定だなどという言い訳は聞きたくない。また、原子力発電を途上国に売り込むのもやめて欲しい。あくまで人命優先であって欲しい。ともかく、今地球は環境問題で大変な曲がり角に来ている。今必要なのは100年先を見据えた政策と投資で、目先の問題解決ではないのだ。我々国民としても真剣にこの問題を考えなければならない。

2014年11月4日火曜日

行動の時が来た


夏が終わりに近づいたと思うと、台風が次々と日本列島を襲ってきた。17号、18号、19号と、これでもか、これでもかという有様だ、我々は只管土砂崩れのないことを祈り、人命が損なわれることの無いように願うのみだった。でも、木曽の御嶽山で爆発があり、多数の人命が損なわれた。救命活動が台風の為に損なわれた。世界中で「異常気象」が通常になり、北半球で被害が続発している。

市場では野菜が品薄になり、価格が上昇している。電力会社は太陽光発電による電力を買い控え、地熱や風力発電による電力を増やすのだと言っている。これらの切り替えには時間がかかる。その間をつなぐのは「原発」だろうか?どうも最近ではお役人さんにも電力会社にも原発再開が当たり前というような気配が濃厚である。目先の利益と問題解決を狙っているとしか我々には映らない。増え続ける廃棄物や不手際、爆発の可能性、人の命に対する脅威、避難を余儀なくされた福島の人々の生活の保障など、解決しなければならない問題は山積しているが、関係者は送電線の確保とか買取り価格だとか、目先の問題ばかり取り上げて、人の命に関係ある問題に関しては先送りである。電力会社に働く人は大命題である「利潤の確保」に狂奔しなければならないかもしれないが、役人はそれでは困る。政治家は国民の命を守るような手段も講じなければならない。

今のように、「ほどほどの生活程度」を保って二酸化炭素の排出を抑えて行けば、原発の再稼働に頼らなくても、安全なエネルギー確保のために時間を稼げる。各自治体は公共交通機関を再配備して、庶民が自家用車を乗り回さずに済むようにすべきだ。新規火力発電は禁止しよう。地熱発電は有無を言わさず推進しよう。各家庭は屋根に太陽光発電や太陽熱発電のパネルを設置し、自分で消費する電力を確保できるように支援をしよう。要は全国民がその気にならないと、現在の異常気象は悪くなりこそすれよくはならない。私たちは地球が今大変な危機に直面しているのだと悟るべきであり、必要な対応手段を講じなければならない。IPCC112日に発表した報告書は世界全体の温室効果ガス排出量を2050年までに半減すべきと断じている。この環境問題は「他人任せ」では絶対解決しない。各個人が自分の生活程度を見つめて、エネルギ-の消費を少しでも減らす努力をする必要がある。

「後悔先に立たず」である。今必要なのはよく考えて、行動を起こすことである。皆さんの一人ひとりが自分の子どもや孫たちの将来に責任を持っていることを自覚しよう。

2014年10月24日金曜日

国連デーに思うこと


 1024日は国連デーである。それは一体何を記念して設けられたのかわからぬ人が多い。それは一言で言えば、「国連のお誕生日」である。あの悲惨きわまる第二次世界大戦が終わり、世界中の国々が集って「これからは平和な世界を築こうよ]と末永く祈念するために生まれたのが国連デーなのだ。

 あれから70年にならんとするこの世界。幾らかでも平和になったろうか?人々は笑顔を絶やすことなく生活できるようになったろうか?世界中の人々に十分な食糧はとどいているのだろうか?我々が吸い込む空気、飲み込む水、口にする食品は安全なのだろうか?世界のどこに住んでも人間としてまともな生活が保証されるようになったろうか?男女間の差別は、人種間の差別は?貧富の差はどうだろう?ところが私たちが今専念していることは、自分たちの主張を声高に言い張ることと、お互いに殺しあうことのようだ。

 このような現実を控えて、国連加盟の政府は毎年集まって、解決策を論じ、ああしよう、こうしようと決議をしている。でも、成果は?と問われるとどの政府もどの国際機関も胸を張って返事はできない。ある程度の進歩は認められるものの、最近の国連決議の中でこれが大成功だと言えるものはない。

この不甲斐なさというか不完全さの原因はどこにあるかというと、それはいま世界を覆っている経済最優先という考えにある。世界中の人が「お金、お金」と狂奔し、その行動のもたらす影響に頓着しないからだ。そして、もう一つの大きな原因は、数ある国連加盟国のうちで、世界中の人達を幸福にしようなどと考えているのは殆どないということだ。殆どの加盟国は自国の国益(利益)という観点からすべてを判断している。わが日本の政府はその典型例だ。日本はかっては世界一の支援国。それが今ではどんどんと滑り落ちている。1997年度のODA11687億円。それが今では5500億円と半額になっている。特に国連を通じてする支援はどのような「国益」をもたらすのかとはばからない。これは目先の利益だけを取り上げて、50年~100年先の人類や世界のあり方や、日本が将来受けるであろう恩恵や「本当の国益」を十分に考慮していない現れだ。実に情けない国に成り下がったものだ。

これも、我々国民が何を求め、どんな世界を子孫の為に残していくべきかというようなことを考え、それを為政者に伝えていないことを物語るものである。

今世界の政治情勢も、環境問題も、あらゆる社会問題も破局を迎えんとしている。手をこまねいていていいのだろうか?皆で考え、行動を起こさなければ後悔をすることになる。皆さんのご意見を伺いたいものだ。

2014年10月1日水曜日

世の中にはいろいろな生き方がある


 

ネパールの「鳥も通わぬ」山奥の村々。一歩一歩踏みしめて、深い谷を渡り、急な山々を越えて、人々の悩みや苦しみ、生活上の問題に耳を傾け、どうしたら村人たちが自力で問題解決を図れるのかと相談にのっている人がいる。彼はいわゆる「コンサルタント」でもなければどこかの企業や団体から派遣された「専門家」でもない。彼は村人たちからの求めに応じて、村人たちがどうすれば直面する問題を片付けることができるのかというお手伝いをしているのだ。彼の仕事は「助けて」あげることではない。村人たちと直面する問題をあらゆる面から検討するのだ。そして、彼らが自発的に行動を起こすのを待つ。村人たちが行動を起こし、解決に乗り出す場合に、もし地元で調達できない物資などがあれば、それを調達する役目を引き受ける。


この人が持つものはリュックサックと帳面一冊、それに、数枚の着替えと洗面道具。それが彼の全財産だ。その他には、「気の毒な、困って人を助けるのは当然でしょう」という利他愛というか人類愛、とても並みの人には比肩出来ないような謙虚さ、それに不言実行という行動力である。歩いている姿は土地の農夫と見分けがつかない。口にするのは、土地で採れる穀物と野菜、つまり、農民と同じものを食している。煙草もアルコールも嗜まない。一か月の生活費は約\1,000で、彼のふところに入るお金は全て農民たちの為に使われている。

彼はネパール中部パルパ地方に住み込んですでに20年、100以上ある山奥の村々を一つずつ歩き廻っては農民たちの民生向上、人間開発の助けになっている。農民たちが少しでも誇りをもって生活し、助け合い、そして、心配なく暮らせるようお手伝いをする。それが彼の生きがいであり、人生における使命である。

村人たちの求めるものは、生活していく上で欠かすことのできないものの確保である。つまり、子どもたちの教育、飲料水や給水設備、学校建設、診療所設置、トイレの普及、コミュニティセンター設立、図書館設立、若者クラブや母親クラブの設立、植林、収入や生活向上のための技術習得など数限りないが、これらを一つずつ話し会い、責任の区分をはっきりさせ、不正や腐敗の入る余地がないように、村人全員がオープンな事業経営に参加し、それぞれの責任分担を決めるようにする。そして、村人たちは、今では、自分たちの求めたものを自力で設立し、字の読み書きができるようになり、場所によっては電気や動力(携帯電話やコンピューター)をも入手している。

母親クラブに対するマイクロクレジットにより、その利子で、奨学金制度を設けて、人並みの生活をとても望めないような貧困家庭の子女たちに、高校や大学に進学する機会を与え、人生の夢を持たせ、開発の主流に参加できるように、女性の地位向上を実現している。さらに、貧困であるが故に小学校にも行かせてもらえない子どもたちのために「ジョラ基金=ランドセル基金」と称する、1万円の投資が子ども一人の小学校卒業を保証する制度を設け、人々の将来の為に投資をし、希望を持たせている。更に、多くの村々で遭遇する火災、経我、病気などの緊急支援のために「マヤ・コ・ビュー」と称する制度を作り、現金を全然持たない、貧困にあえぐ人々の助けになっている。彼は人々から「OK バジ=OK 爺さん」と呼ばれ、皆から敬愛されている。

OKバジのモットーは「一日一捨」である。それは、自我と執着を捨て去ることであり、自分の価値観を他の人に押し付けることなく、非常にシンプルな生活を旨とすることである。彼は全くの「無私・無欲」で、名声も、地位も、名誉も、報酬も求めない。彼が求めるのは人々の笑顔だ。携帯電話も事務所も持たず、手伝う職員もいない。それでいて、彼は支援者たちに時宜を得た報告を提出する。勿論、手書きで直筆だ。

OKバジは垣見一雅という名の日本人だ。このような日本人を私は見たことがない。いや、世界中見渡しても、このような人はまずいない。村人たちは彼のことを「あの人は神様だよ」と心から尊敬している。子どもたちは彼が村に入ってくると「OKバジが来た」と大喜びする。同じ日本人の一人として、このような人と知り合いになれ、共に働く機会を与えられたことを私は無上の喜びとする。

ネパールでの最近の政治闘争(政府とマオ派)で国中が開発活動の中止を余儀なくされたときに、唯一活動を続けられたのはOKバジだけだ。外国からの支援中止を求めたマオ派に対して地域の住民がOKバジの擁護に立ち上がったからだ。

 以上のような活動をだまって続けているOKバジには、求めなくても応援団が出来る。ネパールでOKバジの仕事を見聞した人や、彼に接した人は必然的に彼の支援者となる。彼はネパールの雨期に山道が崩落したり、道路が寸断されたりて、村々が孤立する6月と7月の二か月間は帰国し、日本中をお礼と報告でまわっている。実際に彼の報告を聞く機会に恵まれた人は、心を動かされる。彼は声高に人類の融和や世界平和を説くことはない。ただ黙って他人様への奉仕を続けている。彼からにじみ出る穏やかな人格が周りの人々を「人助け」へと誘う。従って、日本の各地にはOKバジの為に生活をきりつめてでも支援をしたいと思う人々が増えてきている。こういう人々が集まってこそ世界は少しずつ平和になって行くのだろう。

世の中には様々な生き方がある。それぞれが自分の価値観や尺度によって、「これが私の生き方さ」ということにこだわっている。でも、それが現在の地球上にはびこる諍いや、後を絶たない自然破壊の原因になっていることを忘れている。私たちがいま必要とするのは、OKバジの爪の垢を煎じて飲むことだ。みんなが「俺が、私が…」と主張せず、少し謙虚になり、少しでも自分より気の毒な人々の為に一肌脱ぐことを覚えれば地球の将来は明るくなるだろう。

皆さん、いかがですか、世の中が少しでも平和になることを祈ろうではありませんか?人々がにこにこと生活できる世の中を築くお手伝いをしませんか?

 

 

 

2014年8月29日金曜日

8月15日を迎えて


第二次大戦が終わり、満69年を迎えた。その間色々なことが起こった。様々な経験を積んだ。驚くようなこと、つらいことも沢山あった。でも、今ふり返ってみれば、この国は昔に比べて豊になった。終戦時のあの荒廃ぶりを思い出せば夢のようである。

国民は、初めは「食うために」必死になって働いた。世界の状況に左右され、わが国の経済は相当振り回されたが、いつの間にか「世界二位」の経済だと言われていた。そして、今やそれが沈滞状態である。外交的には様々な強国の間で「けんつく」を喰らいながらでも、少しでも豊かにと政治家も国民も必死である。一方、我々の豊かになる為の努力の副産物として、我々は自然を破壊し、環境を大変に損なってきた。今や、人々は異常気象だ、大気汚染だ、大洪水だ、山崩れだと右往左往し、多数の生命や財産を失うようになっている。でも、誰もこの異常気象の原因を作ったのは自分だとは意識しない。同時に、一部の政治家たちは自国や同盟国を守るためには「集団的自衛権」を持たなければならないと張り切っている。だが、それに関する情報も議論も殆どなく、国民は一方通行の道をまた歩かされるのかと心配である。

振り返ってみると、今まで日本国民の大多数は「お上」の言うこと、会社の方針、上司や先輩の言うことに非常に従順で、敢えて自分の意見を持とうとはしなかったのではなかろうか?我々は示された目的を達成するのには必死で、自分の従事している仕事がどのような影響を社会に与えているのかについては比較的無関心であったような気がする。自分たちが行っている活動が50年先、100年先の子孫たちにどのような世界を残していくかについてもあまり考えない。要するに、我々には自分で考え、判断する、そして後に続く世代に対して責任を持つという姿勢が欠けているのだ。子育てに関しても、一般の親は、「勉強しろ、いい学校に入れるように」と尻を叩く、そして、一流企業や官公庁に就職して経済的な安定を目指せと叱咤激励だ。そだてられた子どもたちは目先の利益を追うお利口さんに育つ。そして、世に満ちるのは,「自己中」の人々だ。今、我々に必要なのは、国民が真剣に考えること、自分たちの将来、子どもたちの将来について議論をつくし、適切な決断を下すことではなかろうか?

集団的自衛権や憲法改変に関する動きでも、私たちは、第二次大戦による戦死者が212万人、空襲による死者が24万人(朝日新聞)だということを噛みしめる必要がある。この他に、広島、長崎の原爆、離島で死に追い詰められた人々、更には、日本が戦争を始めたために殺され、苦しめられたアジア諸国の人々は無数であることを肝に銘じなければなるまい。

世界には「永世中立国」を名乗る国が相当数ある。有名なのはスイス、オーストリア、コスタリカあたりだが、それぞれ、いろいろな事情を抱えながらもそれなりの努力をしている。彼らが目的とするのは「平和」だ。彼らが尽くすのは外交努力だ。一旦緩急あればすぐ銃を片手に飛び出そうというのとはちょっと違う。今の日本での(禄にない)議論を聞いていると、自衛隊に属する兵士たちが戦争に駆り出され、死ぬようになると人々は余り思っていない様に見受けられる。日本は永久中立を国是とできないのだろうか?世界に誇るような立派な憲法がありながら軍隊を持ち続け、「売られた喧嘩は買うぜ」と宣言しなければならないのだろうか?

人々がいつまでも平和を享受し、思いやりと慈しみをもって助け合う世界を築くのが現在の我々に課せられた責務ではなかろうか?この世界では、人々は全く違う環境や価値観の下で暮らし、それぞれの文化に基づいた幸福を追求している。つまり、それぞれが異なる意見を持ち、自己主張をしがちである。でも、それをしていると現在のように収まりがつかない世の中になる。違った意見を持ち寄って、妥協点を見出し、お互いが完全ではなくても、満足できる解決策を探る努力はしなければならない。それが国際協力であり、世界平和ではなかろうか?空也上人の言ったように、「俺が、俺が、の我を捨てて、お陰、お陰の偈に生きよ」という生き方を採用しよう。先ず、国民の間で議論しよう、納得しよう。そして、それが次世代の為に一番良いという生き方を選ぼう。それが私たち市民にできる世界平和建設の努力だろう。どう思いますか?

2014年7月31日木曜日

変わりゆく日本


最近の日本の変わり方を見ていると、なんとなく自分の成長過程に重なってくるように思える。そしてそれが私に不気味な予想と暗示を与える。従って、私は鬱々として、楽しい気分にはなれない。

私が生まれたのは昭和6年(1931年)である。当時日本は満州事変を引き起こし、国を挙げて国威発揚、軍備拡張に血道をあげていた。そういう世論を反映してか自分には「勝秀」などという勇ましい名前がつけられた。その後、日本は日支事変へ、そして、第二次世界大戦へと突入していった。アメリカに宣戦布告をしたのが昭和16年、私が小学4年生のときである。

当時は「鬼畜米英を駆逐しろ」だの「大東亜共栄圏を建設」などというスローガンの下、国民には考えることなど許されず「お上」の言うことを天からの命令とて拳々服庸することが期待されていた。小学校4年からは、「健康優良児」になれ、少年航空隊に入隊を志せと毎日のように刷り込まれた。

昭和18年には伊豆下田近郊の蓮台寺にある県立豆陽(とうよう)中学に入学し、寄宿生活を始めた。だが、すでに当時の戦況を反映して、中学校の講堂には軍人たちが起居しており、校庭は掘り起こされて芋畑に変換しつつあった。上級生たちは沼津の海軍工廠に学徒動員で駆り出され、我々新入生は、下田近くの海岸、須崎、に建築中であったレーダー施設の防御壁建設と、米軍の本土上陸に備えて海岸線に建築中であった地下壕の建設に駆り出された。海岸で土嚢運びをしていると必ず米軍の艦載機に機銃掃射を食らった。夜分は必ず「空襲警報」が発せられ、着のみ、着のままで防空壕に退避を余儀なくされた。かくして、私どもは勉強どころではなく、毎日空き腹を抱えて重労働に従事し、睡眠不足に悩まされていた。

昭和20年、私が中学2年の時に終戦になった。原爆が広島と長埼に投下され、数十万という国民が犠牲になった。日本中の都会が23の例外を除いて空襲にあい、多数の命が失われた。終戦の815日は夏休みの最中で、前日の14日に近隣の稲取という町が空襲にあい、多くの犠牲者が出た。私は稲取の親戚を見舞うとて、叔母と二人で山を越えて稲取に出かけた。到着してみると、「戦争が終わった」という、そして、天皇陛下が、これからは「耐え難きを耐え、忍び難きをしのべ」と国民にご詔勅を下さったという。稲取で終戦前日の空襲で破壊された惨状を見、奪われた市民の命を思うと、なんともやりきれない悲しみと空虚さに取りつかれたのを今でも鮮明に思い出す。

夏休みが終え、寄宿者に帰ってきた我々若者たちを待ち受けていたのは食糧難であった。戦争が終わってつくづく良かったと思えるのは、もう夜中に防空壕に退避しなくて安眠できることであった。でも、食糧難にはつくづく参った。寄宿舎の賄には食糧の貯えが禄になく、出てくるものと言えば我々が「天井粥」と呼んでいた重湯みたいなお粥と、大豆のしぼりかすのパン。いくら食べ盛りの若者たちでももてあます代物であった。そのうち占領軍が日本人は糖分不足だからと、カロリーを補えと砂糖を放出してくれた。賄では、砂糖は料理のしようがないと、各自に砂糖を配分し、私たちは自分たちで「カルメラ」を作りそれを食した。だが、学生たちはたちまち栄養失調を起こし、体中に湿疹が出たり、階段を四つん這いになって上がったりする始末であった。かくして、私と同年配、または、それ以上の人々は成長期には食糧不足、勉強しなければならない時には重労働で、まともな「人間安全保障」とは無関係の生き方を強要された。経験したのは国家の名における考え方を無批判に受け入れることと国民の人命の軽さであった。

その間、我々は米軍から「平和憲法」を頂き、戦争に無縁の国家に生まれ変わった。しばらくして、朝鮮半島で戦争がはじまり、日本は米軍の補給基地となり、食糧も徐々にゆきとどき、国民の生活も少し落ち着いてきた。同時に、「警察予備隊」が設立され、憲法9条の拡大解釈が始まった。

その後、東西冷戦があり、世界各地で殺し合い、紛争が頻発した。殺し合いは今でも続いているし、人々は自分たちの主張を声高に繰り返している。世界は今やアメリカ、中国、欧州に振り回され、各国は自国の権益を守ることに懸命である。わが国でも、平和憲法を変えたい、それがだめなら、9条の解釈を拡大し、集団的自衛権を!という掛け声で政府与党が平和国家日本を普通の喧嘩が出来る国家に変革しようと画策中である。心配なのは国民が、このような事態を「自分で」考え、将来をどうすべきかということを今迄のように他人任せにすることである。

我が国には、考えるのは「お上」または「上司」、国民や部下は従うのみという文化がある。その文化が今までは功を奏してこの国に繁栄をもたらし、我々はある程度の豊かさを満喫してきた。その為の国民の判断の基準が「お金」であり、経済性である。経済活動を活発化するためには原発再稼働しかないと言われればそうかと思う。命の重さはどうなんだという発想にはなかなか結びつかない。

今我々に必要なのは、すべての情報を公開して、国民全部で、日本の将来はどうあるべきかという討論であり、決断である。一部の政治家だけに任せておける問題ではない。国民の一人ひとりが良く考えて、責任をもって、わが子、わが孫の将来を決めて欲しい。

少なくとも、私の経験をこれからの世代には繰り返して欲しくない。若いうちには思いっきり勉強し、健康な体で、世界のために、世の為に貢献してほしい。充実した人生を送り、満足して一生を終えることを祈るのみである。

 

2014年6月28日土曜日

開いた口がふさがらない


最近の政治や公の仕事に携わる人達はどうしたのだろう?変な、おかしことを言ったりしたり、常識に欠けるというか、品格がないというか、聞くに堪えないような野次を飛ばしたりする。自分や自分の属するグループの利益や権益を守るために、または、真実を押し隠すためにか、どうにでもとれるような発言や発表をしているように見受けられる。そこに見え隠れするのは保身であり、エゴであり、自分の地位や優位性を利用した「いじめ」や「いびり」であり、責任逃れである。

具体的には、首相の推進する集団的自衛権の問題であり、都議会での野次と自民党の対応、JR北海道での引きも切らない事故、更に東電の奥歯に物の挟まったような、時宜を逸した発表などである。勿論、何人と言えども完全無欠ではありえない。誰でも欠点を持っている。だからと言って政治家が品格を欠くような発言をしたり、性急な、自分本位な行動をとってもらっては困る。

国民を代表し、国の将来に責任を持つ公人たちはそれなりの覚悟と矜持をもって、口を開く前によく考えて欲しい。発言した暁には、その発言に責任をもって欲しい。何にも増して、国民の幸せを第一に考えて欲しい。これができない人は政治家として失格である。特に、国民の安寧とか「いのち」に関わるようなことは、拙速を避け、じっくりと討論・審議を重ねるべきだ。集団的自衛権の問題も過去75年間憲法9条の拡大解釈に頼ってきた問題だ。慌てて今日・明日に結論を出さなくても時間をかけて国民が納得する形で結論を引き出した方が良い。日本の憲法は世界に誇れる「平和憲法」であり、第二次大戦後我々は一度も戦火を交えず平和国家を維持してきた。それを徐々に、国民の参加もなしに、将来の国民が戦いに参加させられるような方向に引きずってゆくようなやり方には疑念が残る。

国民としても、このような状態に満足しているわけにはいくまい。一人ひとりがじっくりとどのような将来が到来するのか考える必要がある。集団的自衛権が国会で、閣議決定で決まれば、国民の間に戦死者が出ることになるだろう。第二次大戦で我々が経験した苦悩、つまり、治安維持法だの、沖縄の人々が戦火に巻き込まれて多数命を落としたこと、日本中の都会が空襲で火の海になったこと、広島と長崎への原爆投下、世界的な生命・財産の損失など、二度と繰り返してもらいたくない。我々国民としても自分たちの子や孫の命がかかってるのだから、他人事と考えずに、日本はどうすれば良いのかこれらの問題をじっくり考え、必要な行動をとらなければなるまい。特に”お母さん方”に「これからの命の在り方」についてよく考えることをお願いする次第である。

2014年6月2日月曜日

座視していてよいだろうか?


 ここ数日は、大気中の二酸化炭素の濃度が終に400ppmを越えたという報道でにぎわっている。実際、日本や北アメリカの気象は実に不順で「異常気象」が頻発しているし、人命や財産が多大な被害を蒙っている。更に南極のアムンゼン氷床が融解を始めたとか、IPCCが、環境の急激な変化を避けるのには、先進国は温室効果ガスの排出量を2030年までに10年比で半減させる必要があるとの報告を提出したとか、大気温暖化に関する警鐘が後を絶たない。

 このような報道を受けて庶民は心安らかに暮らせない。でも、これは大変だと思っても、実際どのような自己防衛手段を講じたらよいのかは簡単には思い浮かばない。あれこれ考えて、「まずできることは節電、そして、屋根に太陽光発電パネルでも設置しようか、でも、お金はどうしよう?」などと思い悩むこととなる。そして、最後には、「これは政府のやる仕事だ、私はしばらく様子をみよう」という結論を引き出してしまう。他方、政府はどうだろう。各国政府は比較的のんびりとしているように見受けられる。国民に余計な心配をかけてはならないと信じているのか、ほかの先進国が責任を取るべきだと思い込んでいるのかわからないが、このピンチに対処する方法は明示されない。勢いづくのは原発を推進している人たちだ。「二酸化炭素の排出が少ない原発を」、「経済活性化の為に原発を」という風に、自分たちの権益を擁護する材料を与えてくれたと感謝するだろう。でも、ここで問題にしているのは「いのちを守る」という至上命題だ。経済問題ではない。

 二酸化炭素の排出を減らし、地球上の全生物の命を守るためには、今この地球上で生命を受けている人たちが、庶民から政治家に至るまで、心を新たにし、生活や経済・産業の在り方を全く変える必要がある。太陽光発電・太陽熱発電更に風力や地熱による発電を積極的に推進し、化石燃料から水素燃料に転換し、水資源確保に努め、全人類のための食糧を生産・備蓄しなければならない。さもないと、人類は後100年も経たぬうちに悲惨なことになるだろう。

 NPO2050はコスモ石油エコカード基金の支援を受けて、中国黄土高原で大気中の二酸化炭素削減を目的とした緑化活動を推進し、大きな成果を上げている。
更に、農民たちに多角農法を教え、貧困撲滅にも寄与している。在来の農法に比べ、「有機農法」は空気中の二酸化炭素を地中に取り込み、固定させるので、これまた大気温暖化対策としては有効な手段であり、美味で健康に良い食品を生産するのみでなく、農民自身の健康や経済状態も改善されるので、アジア全土の農民たちに広めるべきだと画策中である。

 中国黄土高原の緑化活動に参加する手段としては次の二つが考えられる。一つ目は、106日から約一週間にわたって実施される植林活動にボランティアとして参加し、現地農民たちと共に植林し、額に汗をかくこと、二つ目としては、この緑化活動のための募金活動に応募して頂くことである。一口6,500で、660㎡の土地に約200本の木を植えて緑を復元することができる。中国の黄土高原での植林は、地球環境全体の改善に資するだけでなく、日本へ飛来する黄砂を軽減するなど、日本の環境へも直接好影響を与える。この資金は、中国シルクロード緑化事業で必要な多数の苗木を調達するために使われる。


 さあ、大気中の二酸化炭素の濃度が終に400ppmを越えたこの由々しい事態に対処するために、NPO2050の使命達成のために、是非上記活動または募金に応募して頂いて、子どもたち、孫たちの将来を守ろうではありませんか。

2014年5月17日土曜日

幸せを感ずる


 幸せってどんな状態のことを指すのだろう?それは人間一人ひとりで考え方や受取り方が違うので一概には言えないのかと思う。そして、それは誰が決めるのだろう?自分でそう決めるのか、それとも他人がそう言ってくれるのか?その反対は、「自分は不幸だ、幸せではない」と思うのはどういう時だろう?色々の要素が重なり、先ず、「だれも私のことを大切にしてくれない」とか、「どうして私は何をしてもうまくやれないのだろう?」などと自分を責めることや、「私は生まれつき不幸だ!」と決めてかかることからはじまるのではなかろうか?

 客観的に言って、幸せであるための第一の条件とは、先ず、健康であることだろう。病気ではなく、立ち居振る舞いに何不自由を感じない場合は幸せであると言えるだろう。そうなると、自分の生活習慣(ライフスタイル)・食事が、幸せを感ずる上での大きな課題となろう。脂肪や添加物を体内にため込まず、血液はさらさらで、偏食をせず、アルコールや嗜好品に溺れることなく、バランスの良い食事で体力を維持し、肉体的に活発であることが大切だ。そういう意味でスポーツの重要さも言うまでもないだろう。

自分が幸せか不幸かと決める上で、大きな要素を占めるのは、自分のおかれた生活環境が安泰であるかどうかということだ。生命・財産が脅かされることがあってはならないのだ。だれにも脅かされることも、だまされることがないということが大前提となる。今みたいに、福島原発事故の報告が曖昧であったり、行政が口先だけであったり、さらに、異常気象、紛争、犯罪などに遭遇しないで生命をおびやかされないということが前提条件となる。極東4か国(日本、中国、北朝鮮、韓国)の発する最近の声明やつくり出す雰囲気は少しもそういう意味で建設的なものではない。高圧的に物言うことや自分だけが良くて相手が悪いと一方的に決めつけるのではなく、共存共栄に基づく声明を発してもらいたいものだ。さもないと、現在この世のあり方は人に幸せを感じさせるものではないと言えるのかもしれない。庶民にとって、もう一つ大切なのは、自分や子どもたちの将来に対する心配がないということだ。

次に来るのが、本人のもって生まれた性格とか考え方である。落ち込んでいない、前向きだ。生きるのが楽しい。または、「生きるのがつらい」とか「私は何をやってもうまく行かない」などと結論づけることが、幸か不幸を決めるのだ。思い込みや仕事上のストレスなどはその大きな要素であろう。もって生まれた性格や、親のしつけなどが本人の考え方に大きな影響を与え、間違った結論を導くことが往々にしてある。更に、「何をやってもうまく行かない」という結論は、前世から引き継いだ「業」と言おうか、自分本位の生き方をしている人に当てはまるもので、本人が何かしらの理由で自分の至らなさに気付いたり、世の中には自分のものとは全く違う解釈もあると気づいたりすれば氷解する。そうすると、生き方が変わる。前向きの生き方になる。謙虚になる。もう一つ重要なことは、本人がどのような生き方や考え方をし勝ちであるかということ。凡人はとかくすると世の中はかくあるべきだとか、あの人は怪しからんとか決めつける。そして、自分自身の思い通りに行かないといらだったり、嘆いたりで、世界を小さくしてしまうものだ。反対に、「世の中なんて自分の思い通りにはいかないのさ、他人は皆違う考えをもって自分勝手に生きているのさ」と割りきっていれば生きることがストレスにはならない。

生きていくうえで、いじめや差別を受けることもなく、皆から好かれていると自覚できれば、その人はそれだけで幸せであろう。でも、他人から好かれる為には、ご本人の相当な日常の努力が必要である。普段から人一倍努力して人脈を築き、「あの人は頼りになる人だ」と印象づけることが必要だ。周りの人たちに気遣いをし、思いやりをかけ、仕事の上でも頼れる人にならなければなるまい。言葉遣いから、他人に接する態度も常に注意をしている必要がある。そうしてこそ、皆から好かれ、幸せな人になれるのだ。

幸せの一条件として、経済問題がある。特に金持ちでなくても、人は幸せになれる。その日、その日の生活が特に不自由でなく、精神的に満ち足りたものであれば、その人はにこにこと生活できる。人として最低の生活が出来れば、それ以上のお金は必要ないのだ。

以上、色々な条件を列挙したが、中でも一番大切なものは、自分の人生で達成したい目標はこれだとはっきり自覚するもの持つことだろう。そのようなものがあれば、その人はその目標に向かって活き活きと生活できるのだ。

 どのような生活をしていようと、毎日を、瞬間を一生懸命に生き、世の中には「完全な人などいない。人は皆違うんだ」と達観し、自分と違う意見をあたまから排除したり、駄目だと決めつけたりしなければ、心は案外と平静を保ってくれると気づく。自分に激しい言葉をぶつける人や意地悪をする人に遭遇しても、「あゝこの人は自分のフラストレーションを私にぶつけているのだな」と思えば恕してあげられる。世の中をあるがままに受け入れ、更に、一歩進んで、「私は生かされているのだ、感謝しなければ」という心持ちになれば、その人は幸せを感ずるだろう。

 このように考えてくると、必要なことは、「すべてほどほどに」という心がけを持たなければならぬと気づくだろう。「俺が、俺が」と我を張り、自己主張を貫こうとすると、そこには必然的に緊張感が生じ、摩擦が起こる。理屈をこねて、相手を折伏しようとすると、そこには不幸が待ちかまえていると知るべきだ。相手の意見をよく聞き、自分の意見や立場を説明すれば、解決策は現れる。その際あなたが自分の言葉使いに気を付け、建設的・好意的であれば相手はあなたを尊敬するであろう。あなたが導き出した結論や結果が優れていれば、あなたは必然的に責任のある地位に付くであろう。大局的に、かつ、周りの人たちの貢献も認められるように計ればあなたは立派なリーダーとなる。あなたも、周りの人も、皆が幸せを感ずるようになる。

幸せとは、畢竟、自分が毎日の積み上げでつくり出す人生をいかに謙虚に、感謝して過ごすということに他ならない。

2014年5月5日月曜日

20年たった

 51日付けの世界人口ブレティン148号に記載してあるように、今年は世界人口問題にとって、わが2050にとっても、20年の節目を迎える大切な年である。
 2050は過去20年間、皆様の支持と励ましによってそれなりの成果をあげてくることができた。でも、諸般の情勢に押されて、その運営は徐々に難しさを加えてきている。今年が山で、ここで起死回生の手段を講じないと悔いを千載まで残すことになるであろうと感じている。
 世界の人口問題も、カイロで開催された国際人口開発会議から20年。国連人口開発委員会が4月7日から11日まで開催され、カイロで採択された行動計画がどの程度成功裏に実施されたかが評価された。詳しくは人口ブレティン148号をご覧いただくとして、一口で言えば、国際社会の努力は“まずまず”というところで、初等教育の普及と貧困削減では成果を上げ、他の分野、つまり、妊産婦死亡率や出生率の低下などでもある程度の成功を収めていると言う評価であった。ただ問題は、ジェンダー平等、若者対策、高齢者対策、リプロダクティブヘルスの普及などではまだまだ努力が必要であると指摘をされていることである。
 これらの問題解決に向けて、国際社会にはなお一層の努力が求められているが、依然としてリプロダクティブヘルスや女性に対する偏見に固執する発言があることを鑑みると、残された課題は大きいとしか言いようがないであろう。これを、2013年の世界人口白書で数字を少し検証してみると次のようになる:
                            平均寿命   妊産婦死亡率   避妊実行率    家族計画の
            (出生10万対)  近代的方法 (%  未充足ニーズ%

日本      80  87      5       44        0 
世界      68  72     210       57        12
サハラ以南の
アフリカ    55  57     500       21        25

 このような数字を見ると、いかに日本人は恵まれているか、反面、多くの人たちが、特に女性が、社会の片隅に置き去られているかがはっきりする。私たちが少しその気になって支援すれば、彼女たちの運命は好転するのだ。人並みの生活が送れるようになるのだ。

 国連人口開発委員会において阿部俊子衆議院議員は日本政府を代表して、世界一高い健康寿命の国を実現した経験を他の国と共有する用意があると発言した。ぜひ日本政府が今後積極的に女性の地位向上やリプロダクティブヘルスの普及のために努力をしてほしいし、私たちも政府の国際社会におけるこうした活動を見守っていかなければならない。心から願うのは、日本政府が世界の貧しい人たちのために、女性の命が大切にされるような世界を実現するために、国際社会で指導性を発揮し、ODAを増額して、日本の経験や教訓を途上国と共有して、真に平和な世界を築いて頂くことである。

2014年3月24日月曜日

ネパールから帰国しました






 3月18日、10日間の日程を終えて、早朝無事にネパールより帰りました。この10日間に参加者一同様々な経験を積み、多くのことを学びました。私は年長者ということで皆さんにすっかりお世話になり、荷物も持ってもらって楽な旅をさせていただきました。でも、2年間海外旅行をひかえていた関係で、体力が今一つという感じで、正直に言えば少々疲れました。帰国しての翌日にはマッサージを受けて体をほぐしてもらい、すっかり生き返ったような気がしています。
 詳細は後日NPO2050ホームページに掲載しますので、今回は研修旅行の概要をご報告致します。 私たちはカトマンヅ到着後すぐに国連開発計画を訪問し、野田章子代表の歓迎と説明を受け、国連の女性の地位向上のためのプロジェクトとマイクロファイナンスのプロジェクトの視察を行いました。さすがに国連のプロジェクトだけあって、すべてうまく組織され、運営されていました。私たちの視点からすると、なるたけ関係者たちに自助努力で問題を解決する「OKバジ」アプローチを導入して、一刻も早く地域の女性たちが立ち上がることを祈ってやみません。それから、インドと国境を接するダン地方に飛び、私たちが支援しているSister home(サイニ・チャウダリーさん)の運営する貧困子女を支援する奨学金制度の説明を受けました。現在9名の高校生・大学生が将来を夢見て勉強中でした。更に、学校に行きたくても行けない子どもたちのための小学校・貧困女性たちに技術を習得させるラーニングセンターを訪ねました。この地方は、ズバリ言って、「農奴」が非常に多い場所。貧困撲滅と女性の地位向上が何としても必要な地域です。ここで活動を主催しているサイニ・チャウダリーさんは、私が期待する以上の活動を行っており、それぞれ進歩がみられ、将来に希望をつなぐことができました。サイニさんのご主人は有機農業を推進中で、特にお願いしてGP農法を実験してもらっています。ご主人の話では、GPの液肥を撒いた畑では作物の成長が素晴らしいとのこと、私が見ても、そこは青々と野菜が育っていました。私はGPセラミックをさらに一対おいてきて、GP農法が推進されることをおねがいしてきました。 会員参加型研修旅行の素晴らしい成果と言えるであろうサプライズもありました。参加者たっての要望で、サイニさんが活躍を広げることができるようにと、Sister homeのための新たな基金が設立されたのです。設立基金は皆の貴重な旅先でのポケットマネー。金額は少ないのですが、現地でのマイクロファイナンス用基金の原資となるに足るほどの金額となりました。今後NPO2050で詳細を決定し皆様に改めて基金へのご協力を仰ぐことができると思います。 その後は、車で6時間ほどかかるOKバジの活動地域(山また山の断崖絶壁に囲まれた地域)に入り、パルパ地方のタンセンという町で、彼の実施している奨学金制度について学び、奨学生3名と会うことができました。日本出発に先立って吉田先生からお預したOKバジの活動支援のための資金は無事にOKバジにタンセンで渡すことができました。OKバジは多額の支援を毎年のように頂いて大変に感激しておりました。奨学生には3名に会うことができました。それぞれ大学で語学や社会学の勉強を楽しんでおり、将来は教師になることを夢見ていました。3人とも勉強ができる機会を頂いたことを深く感謝しております。 その後、タンセンから20周年記念式典の開かれるランプールまで、また断崖絶壁に肝を冷やしながら3時間ほど車で移動。式典は現地の人たち数千人(日本からの参列者は約100人強)が参列して、立派なものでした。いかに彼が尊敬され、好かれているかが一目瞭然でした。OKバジに対する感謝状と花輪の贈呈が延々と続き、NPO2050の参加者は、式典終了の少し前に「足元の明るいうちに」とタンセンに戻り、「よくまあご無事で」と安どの胸を撫で下ろすことができました。でも考えてみれば、OKバジはこういう道を人々救済するために20年間行き来して、その間に死にそうな目にも遭っているわけで、彼の現地の人たちに対する無条件の思いやり、無私の支援、現地農民たちの自立を促す活動には全く頭が下がりますし、言う言葉が見つかりません。現地の人たちが「OKバジは神様だよ」というのがうなずかれます。 タンセンで一泊してから車でポカラという風光明媚な街に移動。そこからカトマンヅに飛びました。ネパール訪問最後の日はカトマンヅでのんびりと買い物でもと考えていたのですが、生憎、水祭り(道行く人に色絵の具の水をかける風習)に出くわい、でかけると大変なことになるとて、全員国連開発計画代表の野田章子さんの家に招かれ、昼食をともにしました。ここでは皆さんは寛いで、いろいろな経験やアイデアを分かち合い、絵の具をかけられることもなく、満足そうな顔をすることができました。この水祭りは午後4時ごろには終了しましたので、その後、私たちはそれぞれお土産を買ったり、街をぶらついて絵具の消費量の多いのに驚いたりで、ネパール最後の晩を大変ユニークな経験で締めくくりました。 NPO2050の参加者の皆様も後発途上国の実情に曝され、様々なユニークな経験を積まされ、いろいろと勉強ができました。同時に、日本が如何に素晴らしい国であるか、そして豊かな国であるかをも実感できたと存じます。これからは、あまり文句など言わず、感謝して生きて行くことを思い知らされました。以上、今回の旅行は先ず、OKバジに偉大さを実感し、様々なことを学ばされ、有意義な旅行であったかなと考えております。そういう意味でも、OKバジに深く感謝をしたいと存じます。
 6月にはOKバジが帰国して17日には報告会を開きます。18時から20時を予定しております。会場はまだ抑えてありません。詳しいことは後ほどホームページに発表いたします。

2014年3月6日木曜日

3月8日は国際女性の日


 38日は国際女性の日です。地球人口の半分を占める女性、命を産み、育んでくれる女性の安寧、健康、基本的人権などに思いを馳せ、彼女たちがもって生まれた才能を十二分に発揮して世界の平和、人類の健康、思いやりなどが世界の隅々まで行き届くよう、彼女たちが社会開発の主流に参加できるように図るよう、決意し、行動を起こす日です。

 地球人口の半分を占める女性のうち、まともに学校に行け、ちゃんとした判断ができ、自分の子どもたちに人として生きていく上での心得を教えることのできる人たちは少数派なのです。70億を超える世界人口の50%は1日の所得が2ドル以下で、「相対貧困」と呼ばれています。また、12億人は1日の所得が1.25ドル以下で、「絶対貧困」と呼ばれています。「絶対貧困」となると人並みの生活をしたくてもできません。そして、悲劇はその70%が女性だ ということです。

貧困と不健康も相関関係を持っています。安全な飲み水が手にはいらない人たちは11億人。そのため、赤痢とコレラで毎年300万人が死亡。富裕国の乳幼児死亡率は8/1000ですが、50の途上国では 97/1000となっています。貧困層の人たちは病気に関する知識がなく、そのために身を守ることも出来ません。このような人たちの大多数は女性なのです。

貧困者は飢餓に苦しんでいます。FAOによれば、世界人口のうち、85200万人(2002年度)は常に飢餓状態にあり、そのために心身の発達が遅れています。  インドとバングラデシュの5歳未満児の半数は低体重で栄養不良。エチオピアでは47%、ナイジェリアでは31%。彼らは概して農村部辺境地帯に住んでいるのです。

そのため、先ず、こうした女性を救済することが大切です。そして、女性が積極的に開発の主流に乗り出せるよう手を貸さなければなりません。

人が人として生きていくために必要なものは何にもまして「母の愛」、それから、教育。 ですから、先ず、教育を普及させましよう。男女の差別なく。 初等教育、それから中等教育、高等教育という風に。 人にとって、考えること、読み書きできること、自分の考えを口にだせること、人生で何を選択するかなどは基本的人権です。お金がないために学校に行けない子どもは世界で1億人以上。大半が女の子。つまり、彼女たちは「基本的人権」を奪われたままなのです。教育がないとマトモな生活は不可能です。他人に、社会に依存して一生を送ることとなります。こんな不幸はありません。 途上国農村の貧困家庭に生まれた女の子の一生を想像できますか?それは、それは悲惨なものです。

日本では、遅まきながら、安倍首相が「女性の社会進出を促進するために」政府内に連絡会議を設置し、女性の幹部を30%にするのだとうごきだしました。でもこれは、女性たちの自覚と行動力を必要とします。

教育さえあれば、社会参加が出来るようになります。立派な収入を得ることができます。子どもを健康に育て、ちゃんと躾けることができるのです。子どもたちに 愛することを教え、様々な社会貢献が出来るのです。私たちはネパールのダン地方やパルパ地方で貧困子女のために奨学金制度を設けています。私たちの経験から、女性に対する支援は立派に成果を上げるということを確信しています。これらネパールの奨学生は政府、NGOの職員となったり、教師になったりで、立派に社会貢献をしています。

マララ・ユスフザイさんは201210月にパキスタン北部で、「女の子のくせに学校に行っている」ということで、タリバンから銃撃を受け、重傷を負いましたが、九死に一生を得て、今や、「教育が世界平和にとって一番重要だ」と立ち上がりました。覚えていますか、マララさんを?2013年の712日には国連本部で「ペンは剣より強し。世界のすべての子どもが教育を受けられるように」と演説し、世界の指導者に「世界中の子どもたちが無料で義務教育を受けられるように」と求め、「教育こそが貧困と無知をなくし、世界平和の唯一の解決策だ」と訴えました。

 女性の地位向上・ジェンダー平等に先ず必要なのは教育です。女性が社会に進出し、若い人たちが世界平和建設のために立ち上がるのに必要なのは教育です。マララさんの檄を受けて、私たちが行動する必要があります。経済大国日本は対外援助(ODA)を増額して教育の普及を計りましょう。もしあなたが世界平和を願うなら、その気持ちを政治家に届けましょう。ジェンダー平等を実現したいのなら、声をあげましょう。そして、皆で、戦争のない、平和な社会建設に励みましょう。

世の中の人々が自分の生き方、考え方を押し付け、相手を排除する代りに、お互いに助け合い、お互いに生かされて、毎日を平安に送れることを感謝すれば世界に平和は実現できるのです。現代に必要なのは謙虚な心とすべてに感謝し、世の中のすべてのものが「ひとつ」だと理解することではないでしょうか。所詮、私たちが問題にしている「差」は私たち自身の自己中心的な考えと自分たちの権益を擁護しようとする心の産物なのだから、感謝と謙虚さが世を救うと言っても過言ではないでしょう。

 私たちは38日に出発し、一向14人でネパールに向かいます。ネパールで上述のような生き方、支援を実行しているOKバジ(垣見一雅さん)の20周年記念式典に参加するためです。OKバジの高邁な人格に触れ、彼の実践している「自助努力」をいかに支援できるか学んできます。

国際支援とは言うは易く、行うのは難いものです。だがやらなければならないのです、次世代のために、わが子、わが孫たちのために。 さあ、考え方を改めましょう、生活程度を改めましょう、ほどほどに生きて、感謝と謙虚さをもって毎日を送りましょう。

今まで申し上げてきたことは、男性の理解と協力がなくては実現不可能です。

でも、この運動を先駆けるのは、女性でなくてはなりません。女性が先ず、既成概念をぬぐい捨て、新しい価値観を打ち立てなければならないのです。大げさなことは考えなくていい、大きなことはやらなくていい。やれることを、こつこつと続けましょう。途上国の子どもに就学の機会を与えましょう。そのために少し経費を節約して(ビール代、チョコレート代、煙草代など)奨学金をねん出しましょう。

途上国の女性が自立できるように技術移転をしましよう。マイクロクレジットをアレンジしましよう。彼女たちの作ったものが日本で売れるようフェアートレードも考えましよう。そして、日本の女性が先駆けて、全世界の女性が一丸となって平和な世界を築きましょう。