2012年11月26日月曜日

いのち 12

 先日みのもんたの番組で年金問題を取り上げ、これからの老人の負担が増大すると活発な意見を戦わせていた。考えてみれば、年金問題だけでなく、国家および個人の医療費も年々増えるのみで、日本の財政破たんは近いうちに訪れるのではなかろうか、また、老人の夢見ている社会保障の行き届いた安心の生活など夢のまた夢でしかないということに気付く。高齢化がどんどんと進行している日本の社会にあって政策や対策が近視眼的、その場限りということが問題解決を先送りしているのだ。


 一方、国民は豊かさを満喫し、好きなだけ、食べたいものを食べ、飲みたいものを飲んでいる。そして、肥満体が増え、血圧が上がり、生活習慣病が蔓延する。心身の機能が低下する。そして、現行の制度のもと、少しでもどこか具合が悪ければすぐ医者に駆けつける。医者はありとあらゆる診断法を使って慎重な診断を下す。そして、簡単に手術を行い、多量な薬を処方する。薬品業界と保険業界があの手この手で業績を伸ばす努力をする。かくして、国民は自ら健康管理をすることなく、全て「政府・医者まかせ」で、結果は「医療費の増大」である。

 病気にならないように、不断の努力をする人は数えるほどしかいない。一旦、病気にかかってしまえば、日本の医療制度はいくらでも対策を講じ、お金もどんどんと使われる。ただし、病気にならないための努力に関しては、予防法も予算も全くお粗末である。そして、その結果、国家の医療費がウナギ登りというのは頂けない。こう考えると、日本の社会はどこか狂っているとしか考えられない。本当の意味での「公衆衛生」というか「健康のための教育」というものが欠如しているのが日本の社会ではなかろうか?

 病気にならず、健康を維持するために必要なものは「足るを知る」ということである。好きだから、とか、美味しいからという理由で、好きなものを際限なく食べれば時を経ずして必ず病気になる。同様に、毎日、添加物の入った食品を口にしていれば、体は音をあげるだろう。骨も脆くなり、記憶力も低下する。節度のある食生活を維持し、頭を使って身体に良い食物を選んで頂くと言う努力はそれぞれの市民がすべきことである。そこで、私たちは「事前の選択」を迫られることになる。手遅れになる前に私たちはライフスタイルを確立し、死ぬまで健康に、医薬にそれほどお世話にならずにすむように節度のある生活をしなければならない。さもないと、国家の医療費は際限なく上昇し、老人の生活は尊厳のないものとなろう。

 どんなライフスタイルを選択し、どの様に生きて、どのように死んで行くのは個人の考え方しだいである。でも、あなたの選択が後に続く世代に精算を迫ることとなろう。さあ、あなたはどんな決断をし、どんな余生を送るのだろう?

2012年11月10日土曜日

環境革命



 近年の日本の気候は「異常」と決めつけてもおかしくない状態である。世界各地でもここ数年にわたり大災害が報道されている。最近ではアメリカ東部のニュージャージー州とニューヨーク州でハリケーンによる大災害が報道されたばかりである。大気の温度が徐々に、そして、確実に上昇している。北極の氷の層は薄くなり、その範囲もせまくなっている。世界各地の氷河も氷山も融解の速度を増している。海水の温度が上がり、暖流が広がっている。その結果として、異常気象が世界各地で起こり、干ばつや水害、突風、山火事が日常茶飯事となり、人命が、自然環境が損なわれている。今や気候変動が現実のものとして我々の喉元に突きつけられている。

 この気候変動の原因は人間の経済活動だと決めつけることができる。少しでも豊かになろう、利潤を最大にしよう、安楽な生活をしようと、産業革命以来努力してきた結果であり、そのために払わなければならない代償なのだ。化石燃料の使い過ぎでしかない。だが、人間は「まだよ、まだよ」とか「他に方法があるの?」と呟きながら、生活を、産業を、生産方法を変えようとしない。そして、世界の終末に向かってまっしぐらに突き進んでいく。

 東京大学の山本良一教授によれば、産業革命以前にくらべて、大気の気温が1.5~2.0度C上昇すれば地球は危険状態になるという。現在もうすでに0.8度上昇しているのだ。1.5度上昇すればインド洋のさんご礁が死滅し、グリーンランド氷床の全面的融解が始まるとのこと。2.0度で海面上昇が観測され、サイクロン、台風、ハリケーンが多発。結果として1200万~2600万人が難民となり、 10-28億人が水ストレスに悩むことになる。そして世界のさんご礁の97%が死滅。食糧不足と世界的な飢餓が同時に発生する。今すぐ大気温暖化ガスの放出を止めても、気温は後0.5度上がる。更にその後0.5度はあがるだろうと言われている。すると、我々は遠からず1.8~2.0度の上昇は覚悟しなければなるまい。

 いま地球は自然界から最後通告を突きつけられていると言っても言い過ぎではあるまい。「生活や生産方法を根本的に変えるのか、それとも、今まで通りの生活ややり方でこの困難を乗り切るつもりなのか?」、ということだ。今我々が覚悟を決めて「生き方」や化石燃料への全面的な依存をすっかり改めなければ、遠からぬ将来に世界は食糧危機に直面するだろう。世界各地で頻発する干ばつや水害のため食糧生産は阻害され、僅かにとれる穀物はエネルギーと食糧の間で綱引きされ、価格は急上昇するだろう。結果としては、途上国貧困層における飢死急増または飢餓の蔓延ということになる。先進国でもエネルギーと穀物の価格が天井知らずとなり、生活に窮乏する人が増えるだろう。

 大気温暖化の元凶、二酸化炭素は現在のところ海と森林に吸収されている。ただ問題は2050年ころまでには、海は二酸化炭素の量が増えすぎて吸収の能力が低下してしまうとのこと。更に森林は、土壌はそれを吸収するより放出しだすであろうと予告されている。従って、我々は今直ぐ二酸化炭素排出量を80%削減しなければならない。そしてこれは我々の子や孫たちの生死に関る問題であり、覚悟を決めて、国を挙げて、対処しなければならない問題なのだ。

 まず、日本の首相は国際社会で世界を救う為に思い切った提言をし、そして、他国に先駆けて日本がその提言を実施する決意を表明すべきである。今の政治の在り方では、誰も日本を相手にしてくれなければ信用もしてくれないと知るべきだ。

 地方自治体の首長ははっきりとした地球温暖化を止めるための指針を示し、各公共機関には太陽熱発電のパネルを設置することを義務とすべきだ。公用自動車は全部ハイブリッド・電動に切り替える。企業の経営者はあらゆる事業所におけるエネルギー節約と車、その他の車両による燃料使用量削減を打ち出し、エコ・イノベーションを表明すべきだ。同時に水素燃料の開発に力を入れるべきである。学者、有識者、市民組織の代表は市民の意識改革に責任を持ち、啓発に努める要がある。今や個人の不便を理由に環境改善に反対すべきではない。

 今必要なのは言い訳ではない、将来を守るための行動なのだ。

 どうだろう、日本政府はあなた方の将来を本気で守ってくれるのだろうか?

 政界の、財界の指導者たちには本気で国民の将来と命を守ろうという気概が見られない。政府が本気でやらないのなら、市民がやるしかない。市民が、特に、青年が人に先駆けて行動を起こさなければ、後に続く世代に顔向けができまい。私達の生活と経済活動が引き起こした大気温暖化は市民一人ひとりの問題だ。市民が、若者が、学生が真っ先に取り上げるべき問題だ。必要なのは「既成概念大転換」と言うことである。考える土台、チャンネルをまったく変えるということだ。今までの考え方を一寸だけ変えることではない。今や「非常時」なのだ。立ち上がる時が来ている。環境革命を起こさなければならないのだ。

2012年10月29日月曜日

いのち 11


  最近、電磁波環境研究所所長の荻野晃也氏の電磁波・放射能に関する講演を拝聴する機会を得た。改めて、私たちの日常生活が、子どもたちの健康が、自分たちの電磁波に関する知識不足と企業や政府から流れる情報によって脅かされているかを知って愕然とした。


 とかく私たちは生活する上で「便利さ」や「安さ」を判断の基準にする傾向がある。そして、快適さやスピードを当然なものとして、その払うべき代償に関しては余り関心を持たない。そして、私たちは電磁波を出す機器や物に囲まれて無邪気に生活している。

 高圧線、IHクッキングヒーター、AMラジオ、テレビ、携帯電話、電子レンジ、レーダー、赤外線や紫外線、そしてX線や放射能。家に居ても、外出しても、歩いていても、電車に乗っていても、新幹線に乗っていても、飛行機で空を旅するのにも電磁波から逃れることはできない。おまけに最近では、食事をするたび、呼吸をするたびに放射能の事が気になる。

 日本の国民、成人には携帯電話が行き渡り、今では「小学生の子ども」に携帯を持たせようとの運動が展開している。これに関しては子どもたちの健康に及ぼす電磁波の影響が議論されていないが、実際には電磁波が子どもの頭の中に侵入し易いことが心配の種であるようだ。子どもたちの「頭が小さいこと」、「頭蓋骨が薄いこと」、水分が多いことに関係があるようだ。最近ではその他にアルツハイマー病や痴ほう症を引き起こすのではないかという研究が幾つもあるようだ。また「極低周波」が精子に悪影響を及ぼすという研究が話題になっているようでもある。更に妊産婦は電磁調理器の使用を避けるのが望ましいという警告もあるようだが、一般には知られていない。特に気をつけなければならないのは、床暖房とか電気毛布。これらは電磁波にくるまって生活するということだから消費者としてはそれなりの覚悟が必要だろう。電磁波に過敏な「電磁波過敏症」の人が見出されたのは1980年代で、患者は心臓圧迫、ストレス、精神不安、頭痛、睡眠障害などに悩むむそうである。自分を含めて、この「電磁波過敏症」に悩む人は数多く存在すると思うが、日本ではまだ診断方法が確定していないそうである。私がただ一つ防止策を講じているのが、“Q link” を首からぶら下げたり、コンピューターの所に水晶玉を置いたりすることで、どの程度防御が講じられているのか判然としない。

 以上簡単に電磁波に関する情報を紹介したが、問題は日本中どこに行っても何をしても電磁波、高周波の影響を受けると言うことである。政府や業界は電磁波回避や予防に関して何かをしてくれるという可能性は極めて低い。そうなると、我々国民が一人、一人電磁波対策を身に付け、少しでも、自分たちや子どもたちの健康を損ねないように努力をするしか方法がないように思える。特に、妊娠中のお母さん方、小さな子どもたちを少しでも電磁波や放射能から身を守るよう祈るのみである。

2012年10月15日月曜日

いのち 10

 以前にも書き述べたことだが、いのちを全うするのには毎日何を頂くかと決めることが、最も簡単ではあるが、最も重要な決断である。即ち、私たちは食物の持っている「生命」を頂き、それによって自分のいのちを育んでいるからだ。そのため、私たちは自分が食べる食品のうちで、何に生命が宿り、何に生命がないかということを理解しなければならない。


 どうだろう、工場で製造され、添加物だらけの加工食品にいのちはあるのだろうか?屠殺場で殺され、分解され、販売される動物の肉類に生命はまだ宿っているのだろうか?大量生産される鶏卵にいのちはあるのだろうか?農薬と化学肥料に依存した畑で作られる野菜や穀物にいのちはあるのだろうか?外国から輸入された食品や果物にいのちはあるのだろうか?

 それぞれの食品について、いろいろな人がいろいろな意見を述べている。それが科学的な所見やテストに基づいているかどうかと、頭から考えを拒絶する人も多い。半面、長年の経験と英知に基づいて、自分の信ずる食生活を守る人も多い。いずれにせよ、私たち庶民としては、この情報の飛び交う社会においては、すこし勉強して、自分のいのちを守り、育くんでくれる食品を選ぶしか途はない。そして、それは個人的な責任においてやるしかない。

 総合的・常識的に考えると、先ず、健康の為には、有機農法で生産された穀物や野菜などの食料を選ぶことではなかろうか?それから、出来得る限り、私たちは日本国内で生産された有機農法の食品を優先させることであろう。これを「身土不二」と言って、日本では昔から推奨されている農法・食べ方である。見た目に綺麗で、口に入れれば美味というだけでいのちのない、または、生命力の弱い食品は敬遠した方が良さそうだ。遺伝子操作をしたもの、人工飼料で飼われた動物や魚介類も遠慮した方がよいだろう。また、避けた方が良いものには人工飲料、白砂糖を沢山使った菓子類、乳製品、アルコールの過剰摂取、たばこやドラッグなどがある。

 現代人は押し並べて忙しい、時間がないという理由で、食事を手抜きのもの、つまり、ファーストフッドですます傾向がある。押し並べて、健康に良い食事は作るのには比較的時間がかかる。このような事情におされて、現代では食事がどうしても簡単で、高たんぱく、高カロリーになってしまう傾向がある。それが長い間には私たちを肥大化し、体内に脂肪を貯め込んで健康を少しづつ損なわしめている。もう一つ気づくことは、同様な理由で、未精白の穀物は固い、まずいと頭からきめて、その様なものを食べる位なら死んだ方が良いなどとほざく輩も相当いる。こういう人たちは「太く、短い」一生を終えることが多い。でも、覚えておいてほしいのは、健康に良い食事は「不味く、固い」必要はなく、いくらでも美味しく料理できるということだ。

 どうだろう、口に入れて「ああ美味い」と感じ、固からず、健康を促進してくれ、おまけに「医者いらず」の身体にしてくれ、何歳になっても他人様のため、世間の為に駆け回れる身体をつくる食事があったら、そういう食事を取り入れることを考えるべきではなかろうか?おまけに、この食事法は食費全体が非常に安くなるのだ。自分の老後の為、子どもたちの将来の為にご一考を促したい。

 この健康法・食事法は「マクロビオティック」という。少しでも多くの人がマクロビオティック健康法・食事法を取り入れ、健康になり、生活習慣病に無縁で、日本の医療費の出費が減少することを願っている。

2012年9月16日日曜日

いのち 9

 いのちを健やかに・・・と考えるとき、いのちを育て、守る食べ物を頂く必要に関しては前編に述べた通りである。だが、それは何をどうやって頂くかというちょっとした「決定」又は工夫を必要とする。その決定は、たとえ小さいものであろうと、生まれてこの方叩き込まれてきたもの、知識、経験に基づいているし、その決定のなされる時点での心のあり方に左右される。間違った選択をしないためには、私たちに健全な知識とこころの平静さが求められる。


 人というものは、生きている限り、外部からの刺激に絶えず反応し、振り回されている。それはお天気であったり、美しい景色であったり、騒音やおいしそうな匂いであったりして、私たちは無意識に、またある時には、意識的に反応を示す。その反応は人を次から次に連想に誘い出したり、何かしらの行動を起こさせたりする。そしてこれが際限なく続くので、人の心はなかなか集中できない、間違った選択をする、いらいらする、など休まる暇がないということになる。

 私たちは絶えず物忘れしたり、外からの刺激に過剰に反応したりで悔やむことが多い。他人様の話をきいて、自分の価値判断で直ぐに決めつける、裁く、責めると言うようなことを繰り返し勝ちである。自分の意見や価値基準と違うものに対しては寛容ではない。無意識に行っているのは自己の正当化であり、差別であり、不寛容である。これが日常行われているのが「いじめ」であり、洋の東西を問わず、有史以来行われてきている戦争と殺し合いである。これと反対に、どの様な意見を聞こうとも、世の中の人は必ず自分とは違う意見を持っている、100人いれば100の違う意見があると理解すれば心は平静である。まさに、金子みすずの「みんな違ってみんないい」という精神である。そこに、自分より弱い立場にある人々や気の毒な人々に対する「思いやりの念」があれば、あなたのオーラは平和なものであろう。そうなると、あなたは常に正しい選択をし、周りの人々に平安なエネルギーを発することになる。

 私たちは絶えず「現在」に集中することなく、次から次へと考えを飛ばし、結果としていらいらしたり、間違いをしたりすることを繰り返す。そして、物忘れをしたり、他人さまといさかいをしたりする。心がこういう状態だと、私たちは衝動的な行動を取ったり、後悔をするような決断を下したりすることが多い。つまり、いのちを大切にするような行動はなかなかとれない。

 いのちを育むためには、心が絶えず平静であり、自分の周りの全生命に対して思いやりをかけ、全ての安寧の為に祈り、そのために必要かつ可能な行動をとることが求められる。どうすればその様な状態を入手できるだろうか?

 私自身の経験では、座禅や瞑想が役に立つ。とくに「ビパサナ瞑想」が効果的であった。この瞑想によって比較的容易に集中力とこころの平静が得られる。すると判断が正しいものとなる。自分の執着や好き嫌いによって生活が振り回されることが少なくなる。更に、それによって、世の中のありとあらゆる生命に対して「愛」をもって接することを覚え、いのちを育むことを身につけることができるようになる。自分が「生きている又は生かされている」ことに感謝し、謙虚に、ほどほどに生活すれば、自然を大切にしよう、いのちを大切にしようという気持ちを持つだろう。そして、自分の言葉が、行動が、他人様や自然に対して大変な影響力を持っていることに気付くであろう。何をすれば、少しでも他人様の為になるのか、または、世界やまわりの社会に貢献できるのかということにも気付くものである。それを行動に移すと、それが「生きがい」になる。

 私の数多い友人の中で、健康で、長寿で、医療のお世話になることの少ない人たちは例外なく、「功成り、名を遂げた」後に何かしらの社会貢献をしている。いのちを全うするのには、先ず心が絶えず平静で、謙虚な生活をし、生き甲斐を持つことであろう。

 私たちのいのちのあり方を決めるのは私たちが何を考え、何をするかにかかっている。それは政府でも、政治家でも、医師でもない。あなた自身なのだ。

 健康を守る上で欠かせないのが「運動」である。身体を動かそう。できれば週二、三回は運動しよう。散歩でも、スポーツでも、家事でもいい。身体を使うのだ。避けなければいけないのは、一日中テレビにかじりついて安楽な生活をすることだ。これは痴ほう症への近道である。

 さあ、みんなで健康で楽しく生活しよう。そして、少しでも美しい地球を子や孫たちに残していこう。

2012年8月30日木曜日

いのち 8

 この世の中、どんな人生を送るのか?何を目的として生きていくのか?


それが何であろうと、先ず心がけならないことは「心身ともに健康で、病気にならないこと」ではなかろうか?若いうちは、ともすると、自分が病気になるとか、死ぬとかについては余り考えず、心の命ずるままに食べ、飲み、活動し、精いっぱい生きていこうとする。そして、「健康管理」などということは心の片隅に追いやられているのでなかろうか?でも、人間、常に健康で元気でなければ何も成就出来ないのは明白の理である。無茶な生き方をしていれば、時を経ずして必ず病気になる。そして、それは時として「ガン」であったり、成人病と呼ばれる糖尿病や心臓まひであったりする。ガンなどの病気となると、普通の人は慌てて病院に駆けつけ、手術、化学療法、放射線治療、などと現代医学のお世話になるのが普通である。しばらくすると、医師から「はい、あなたの体内からガン細胞が消えました」という御託宣を頂く。しかしながら、非常に多くの場合、同時にあなたの免疫力・自然治癒力そのものが一連の対ガン治療で低下し、その御託宣の後間もなくこの世におさらばというケースが多い。

 こう考えると、私たちは「生き方=健康管理」に対する認識を根本的に変える必要があることに思い至る。つまり、あなたが生きていく上で、どう生きていくのか、どうすればいつでも健康で、活動的でいられるかということを普段から考え、お医者さんや薬品のお世話にならずに済むかという「すべ」を身につけなければならないということである。 

 人が健康に生きていく上で留意しなければならないことは、少なくとも三つある。その一は、何をどうやって食べるかということである。その二は、普段どの様な「心がけ」で生活をしていくかということ、第三は身体を動かす努力をすることである。

 こう並び立てると、案外簡単だなと思われるかも知れないが、実行となると迷いが出たり、「理性」や「科学的知見」が働いたり、執着や他人の意見に振り回されたりされ勝ちである。

 先ず第一番目の食事について考えてみよう。私たちが毎日食べるものが生きて行くうえで不可欠であり、食べたものが体質や気質を形づくっていくことに関しては議論の余地はないであろう。つまり、お菓子や果物など甘いものや、水っぽいものが好きな人はいつの間にかぶくぶくと肥って、どちらかと言えば、ニコニコとしている。その反対に、肉類が好きな人は固太りで、非常に活動的であると同時に直情決行型の人が多い。そして多くの人は、肉類が好き、甘いものも好き、アルコール類もよく飲む、そして、健康維持のための乳製品や薬品類も多用している。つまり、現代人は心の命ずるままに飲み、かつ、食らいて老いていく。そして、引退の時期になると、アルツハイマーやパーキンソンなどという厄介な病と直面せざるを得なくなり、他人様のお世話になって余生を送る破目になる。これは自分が夢に描いた「楽しい人生」であろうか、それとも、無意識に楽しく過ごした日々の結果が「悲劇」として終わるのであろうか? この選択はあなた自身が手遅れになる前にしなければならない。

 健康に生きようと思ったらそのための決意と努力が必要である。でもこれは大げさなことではない。一言でいえば、飲食に関しては必要な知識を仕入れ、生活を「ほどほど」にということにつきる。

 日本という土地で生まれ、そこで、健康で満ち足りた生活を志すのなら、先ず私たちの食生活において、口に入れるものは、住んでいる場所(日本)で生産された「旬」のものと言うことである。そして、これは、パイナップルやバナナは食べない、冬にはナス、トマトやキュウリなど夏の野菜は頂かないということを意味する。そして、生産され、販売されている食品は無農薬、有機農法によるものが望ましい。主食は出来る限り、精白されない全粒の穀物、つまり、玄米、が最も望ましい。味噌や醤油は有機、国産の大豆を使って時間をかけて熟成されたものを選ぶ。大根やニンジンは根の部分だけではなく、葉の部分も頂くことが推奨される。工場で生産され、添加物だらけの食品、白砂糖を多用したケーキ類、動物性蛋白やアルコールの摂取はなるたけ減らす、食事に際しては腹いっぱい食べず、お腹が満腹する前の80%位でやめておく、口に入れた食物は、最低50回くらいは噛むと言ったことを実行すれば健康と長生きは約束される。つまり、日常の生活においては贅沢な食事をせず、栄養価の高いものだけを食べず、全てほどほどに、質素に食べようということである。当然のことながら、ファストフッドやジャンクフッドは避けた方がよい。

 NPO2050の中国代表をしている孫若恒教授は今年97歳になる。彼は我々と共に山に登り、植林をし、現地の農民たちを指導しているバリバリの現役の方である。彼の食生活は「少食、質素、良く噛む」ことに徹していて、病気知らずである。

 私たち人間は宇宙や自然環境からのエネルギーなどの影響を受けて生きている。これらに関しては余り選択の余地はなく、人間が選べるのは「何を毎日食べるか」ということ位である。そして、その選択が一人ひとりの健康状態を決めて行く。つまり、自分の健康と生命は自分で守るということである。だが「選択」となると、自分の欲望、嗜好、執着、世間や学校で刷り込まれた科学的知見、医師や薬品会社の言い分などなどに振り回されて、何をどう食べるのかなど考えるのが面倒になりがちである。そうなると、これは第二の「心がまえ」または心の持ち方の問題となる。これは、この次に論じよう。

2012年8月18日土曜日

いのち 7







人と生まれても、いのちを比較的に「ないがしろ」にされているグループの人たちがいる。それは開発途上国に貧しく生まれた若い人たちだ。若い男女とは10歳から24歳までの年齢層で、世界に約18億人いる。この人たちは平均1日¥150前後で生活することを強いられ、そのうち1億人は学校にも行かしてもらえない。理由は「貧困」だからだ。国連事務総長の最近の報告によれば、「2010年末には7510万人の若者が雇用されておらず、雇用されていても1億5200万人は給料が低く危険な仕事についている・・・2000~09年には、後発開発途上国に住む20~24歳の女性の31%が18歳以前に出産している・・・毎日15~24歳の3000人がHIVに新規感染している。多くの思春期の少女や若い女性は性的な暴力や虐待に曝されている・・・アフリカでは1億~1.4億人が女性性器削除を受けている」とのことである。当然、少女の人身売買や児童婚も数限りなく見られる。

 元気に満ち溢れてはいるが、読み書きが碌に出来ず、定職もなく、毎日ブラブラしている若者たちが町にあふれ、集まって、興奮を求めるとなれば何がおこるであろうか想像するに難くない。そこに見られるのは社会不安であり、往々にして部族間の抗争であり、この様な若者を利用しようとする様々なグループである。そして、必然的に危険に曝されるのは同年代の女性たちである。そして彼らのいのちがいとも簡単に消えていく。多くの途上国の政情が不安であり、世界に争いが絶えないのも「むべなるかな」である。

 世界人口の1/4に当たる若者たちが年齢に応じて学校に行くことができ、世の中の秩序を守ることを覚え、まともな職に就くことができ、その上自分たちやまわりの人たちのいのちを大切にすることを学べば、世界は確実に平和に向かって行く。そのため、国際社会は事あるごとに、若者に教育を、職を、リプロダクティブ・ヘルスをと決議している。でも、現実は決して途上国の若者のたちにとって生易しいものではない。彼らが聞くのは常にスローガンであり、見るのは厳しい現実である。そして、政治家の不作為や私たちの無関心が彼らの信頼感を損ね、いのちを粗末なものとしている。

 国際社会は、MDGsの目標実現に向けてそれなりの努力を重ね、ある程度の成果を見せている。だが、私たちの努力は満足ということからは程遠い。彼らにとって必要なのは、1)正しいリプロダクティブ・ヘルスの情報であり、必要とするサービスの入手である。2)いのちを育み、健康に生活するための食料と情報の入手である。3)世の為に貢献する若人を育成する教育であり、職業訓練である。そして、4)男女を問わず、お互いに助け合い、慈しみ合うと言う精神構造である。これは、現在の国際社会の支援のあり方ではたやすいことではないが、やりようによっては効果を上げることが出来る。それは、先進国の若人たちを動員して、ピアー・エジュケーション(若者同士の相互啓発・支援)や人間開発プロジェクトを積極的に導入することだ。日本の「青年海外協力隊」やアメリカの「平和部隊」はその先駆けとなり得るし、様々な民間組織も途上国の需要に応えるプロジェクトを支援出来る。世銀や国連諸機関、先進諸国の政府が民間組織と手をつなげば、必要な資金、技術を提供できるし、お互いの長所を生かして、途上国の問題解消や政情安定にも寄与できる。そして世界が少しずつ平和に向かう。これはやれば出来ることである。

 各国の若者を動員して、正しい食べ方や生き方の勉強をさせればHIVや他の感染症に対して有効な対処ができる、教育の普及を図ることで児童婚や女児の虐待を減少させることが出来るし、女性に対する不平等や不当な扱いを減らして行くことが出来る。更に、教育は若者たちを社会の有用な人物に育てることができる。要は、こういうお手伝いが出来る人たちが「手を伸ばす」のか伸ばさないかにかかっているのだ。世界で不遇をかこっている若者に充実した人生を送らせ、世界の将来を明るいものにするのか、それとも、今の逼塞した状態に放置しておくのか、全て私たちの考え方や地球の将来にどう対処するのかという決意が重要なカギを握っているのだ。

 さあ、私たちは何をすれば良いのだろう? 今まで通り、自分のことだけ考えていれば良いのか、それとも、皆で世界の将来を明るいものにするために一歩踏み出すのか、この辺で決めなければならない。日本の若者が立ち上がり、世界平和の魁となることを願うのみである。