2012年9月16日日曜日

いのち 9

 いのちを健やかに・・・と考えるとき、いのちを育て、守る食べ物を頂く必要に関しては前編に述べた通りである。だが、それは何をどうやって頂くかというちょっとした「決定」又は工夫を必要とする。その決定は、たとえ小さいものであろうと、生まれてこの方叩き込まれてきたもの、知識、経験に基づいているし、その決定のなされる時点での心のあり方に左右される。間違った選択をしないためには、私たちに健全な知識とこころの平静さが求められる。


 人というものは、生きている限り、外部からの刺激に絶えず反応し、振り回されている。それはお天気であったり、美しい景色であったり、騒音やおいしそうな匂いであったりして、私たちは無意識に、またある時には、意識的に反応を示す。その反応は人を次から次に連想に誘い出したり、何かしらの行動を起こさせたりする。そしてこれが際限なく続くので、人の心はなかなか集中できない、間違った選択をする、いらいらする、など休まる暇がないということになる。

 私たちは絶えず物忘れしたり、外からの刺激に過剰に反応したりで悔やむことが多い。他人様の話をきいて、自分の価値判断で直ぐに決めつける、裁く、責めると言うようなことを繰り返し勝ちである。自分の意見や価値基準と違うものに対しては寛容ではない。無意識に行っているのは自己の正当化であり、差別であり、不寛容である。これが日常行われているのが「いじめ」であり、洋の東西を問わず、有史以来行われてきている戦争と殺し合いである。これと反対に、どの様な意見を聞こうとも、世の中の人は必ず自分とは違う意見を持っている、100人いれば100の違う意見があると理解すれば心は平静である。まさに、金子みすずの「みんな違ってみんないい」という精神である。そこに、自分より弱い立場にある人々や気の毒な人々に対する「思いやりの念」があれば、あなたのオーラは平和なものであろう。そうなると、あなたは常に正しい選択をし、周りの人々に平安なエネルギーを発することになる。

 私たちは絶えず「現在」に集中することなく、次から次へと考えを飛ばし、結果としていらいらしたり、間違いをしたりすることを繰り返す。そして、物忘れをしたり、他人さまといさかいをしたりする。心がこういう状態だと、私たちは衝動的な行動を取ったり、後悔をするような決断を下したりすることが多い。つまり、いのちを大切にするような行動はなかなかとれない。

 いのちを育むためには、心が絶えず平静であり、自分の周りの全生命に対して思いやりをかけ、全ての安寧の為に祈り、そのために必要かつ可能な行動をとることが求められる。どうすればその様な状態を入手できるだろうか?

 私自身の経験では、座禅や瞑想が役に立つ。とくに「ビパサナ瞑想」が効果的であった。この瞑想によって比較的容易に集中力とこころの平静が得られる。すると判断が正しいものとなる。自分の執着や好き嫌いによって生活が振り回されることが少なくなる。更に、それによって、世の中のありとあらゆる生命に対して「愛」をもって接することを覚え、いのちを育むことを身につけることができるようになる。自分が「生きている又は生かされている」ことに感謝し、謙虚に、ほどほどに生活すれば、自然を大切にしよう、いのちを大切にしようという気持ちを持つだろう。そして、自分の言葉が、行動が、他人様や自然に対して大変な影響力を持っていることに気付くであろう。何をすれば、少しでも他人様の為になるのか、または、世界やまわりの社会に貢献できるのかということにも気付くものである。それを行動に移すと、それが「生きがい」になる。

 私の数多い友人の中で、健康で、長寿で、医療のお世話になることの少ない人たちは例外なく、「功成り、名を遂げた」後に何かしらの社会貢献をしている。いのちを全うするのには、先ず心が絶えず平静で、謙虚な生活をし、生き甲斐を持つことであろう。

 私たちのいのちのあり方を決めるのは私たちが何を考え、何をするかにかかっている。それは政府でも、政治家でも、医師でもない。あなた自身なのだ。

 健康を守る上で欠かせないのが「運動」である。身体を動かそう。できれば週二、三回は運動しよう。散歩でも、スポーツでも、家事でもいい。身体を使うのだ。避けなければいけないのは、一日中テレビにかじりついて安楽な生活をすることだ。これは痴ほう症への近道である。

 さあ、みんなで健康で楽しく生活しよう。そして、少しでも美しい地球を子や孫たちに残していこう。

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