2013年4月30日火曜日

原発落語

429日に北千住で開かれた福島原発に関する講演・対談・落語の会に出席した。現地の状態をあるがままに報告した南相馬市の志賀嘉津郎医師と2050会員で落語家の三遊亭京楽さん、次いで、千葉大学の小林正弥教授による「真実を見極める努力と方法」についての講話、最後に京楽さんによる新作落語で、大変に盛り上がった、そして、いかにすれば真実が把握できるのか、正しい理解ができるのかなど、我々がともすれば考えることは「お上任せ」という安易な態度を180度転換し、いかに私たち一人ひとりが原発の問題を解決していかなければならないかという「生き方」を示して頂いた。

志賀医師による状況説明
 



小林教授による講演

 
 
次いで、この三者による話し合いがあり、最後に京楽師匠の落語「ニャーとブーの大冒険」へと続き、その中で京楽師匠は、原発の爆発で強制退去とされた地方に置き去りにされた猫、豚、馬などの動物が自分たちも安住の地を求めてさまようときに、風神、雷神、天照大神などと会話を交わし、悟りを開くという、涙あり、笑いありの、だれにでも分かる、だれにでもできる解決策を悟らせてくれる落語の大熱演であった。


京楽師匠による熱演
 
もちろん、会場の聴衆の皆さんも感銘を受け、しばらくは拍手が鳴りやまぬほどであった。
 2050の会員たちも数多く出席し、皆「わが意を得た」というような顔つきであった。このような落語による啓発は一つの立場に偏ることなく、どうすれば国民の命が安泰であるか、同時にエネルギーの供給を休みなく続けることができるのかなど、全体的な視野から全員に考えること、行動を求めるものであって、ユーモアと笑いを交えた素晴らしい試みである。従って、2050でも改めて京楽師匠にご出馬を願って、会員たちに広く聞いて頂き、正しい情報をいかに得るか、全員の利益に結び付く結論にいかに到達するかなどを改めて学びたいと考えている。
 

2013年4月15日月曜日

大将のいましめ


最近、徳川家康が自分の『いましめ』としていた心得を入手した。下記のようなものである。

 

「大将というものは敬われているようでその家来に絶えず落ち度を探られているものだ。

恐れられているようで侮られ、親しまれているようで疎んじられ、好かれているようで憎まれているものじゃ。

大将というものは絶えず勉強せねばならぬし、礼儀もわきまえねばならぬ。

わが食へらしても、家来にひもじい思いさせてはならぬ。

 

これが三十三年間つくづく思い知らされた家康の経験ぞ。

家来というものは禄でつないではならず、機嫌を取ってはならず、遠ざけてはならず、

近づけてはならず、怒らせてはならず、油断させてはならぬものだ。

ではどうすればよいのだ。

 

家来には惚れさせねばならぬものよ!

                                                                                                                元和二年六月

                                                                                                                 徳川 家康」

 

これが徳川三百年の統治の大方針であったのだろう。これを読んで皆様はどう反応なさいましたか?現代にそのまま通用するでしょうか?

                                                                                                                北谷

2013年4月7日日曜日

2050 の再出発と北谷理事長の続投


NPO法人2050の存続に関しては、皆様には大変ご心配をおかけしております。43日に臨時理事会を開き、以下の様に決まりました。

 

NPO2050は新たな決意と新たな人たちを迎えて、北谷理事長が続投し活動を継続することが了承されました。新しい活動の導入や運営資金の確保などについても討議されました。また、新しい若い会員たちが気軽に意見を発表できるような雰囲気をいかに作るかも検討し、啓発・教育活動に少し重点を移すこと、フェイスブックをさらに活用すること、講演会を全国的に展開することなどが今後の課題となりました。さらに、ホームページを早急に新しくすることにいたしました。

 

 新しい体制では、3人のボランティアが協力してくれる予定ですが、会員の皆様のご

協力もお願い申し上げます。

 

○ プロジェクト活動としては、途上国の貧困女性のための奨学金は今後、ネパールのみとし、中国、インドなど他の国々の援助は中止し、自分たちで活動を継続するように要請をしました。

○ シルクロード緑化活動は、中国人口福利基金会が独自の活動をすることになったことから、今後は、甘粛省と陝西省の現地責任者たちと直接的な関係で活動を継続します。幸いなことに、彼らは真摯で信頼できる人たちですので、安心して活動の継続ができると思います。

○ フィリピン・パラワン島での10年間にわたる技術指導の結果、エリ蚕のシルクスカーフ・マフラーが製品化し始めており、それをフェアートレードで販売することを新しい事業として取り組むことも検討しています。

 

活動資金確保のために、多くの人が寄付をしやすくなる「認定NPO法人」の取得を目指すことも決まりました。また、日本と世界の将来に向けて、若い人たちに国際性と英語の実力をつけてもらうために、必要なセミナーなどを行うことも検討しています。.

 

 以上、NPO法人2050の活動は継続されることを報告すると同時に、会員や理事の方々の助言と支援を受けて、間口を広げ、若い人たちに働きかけて行くことをお約束する次第です。

 

*北谷はフェイスブックで発信しています。「北谷勝秀」で検索してください。

*「世界人口ブレティン」は、諸般の事情により印刷物でお届けできなくなりました。ウエッブ版「世界人口ブレティン」としてメールで送信しますので、あらためてメールアドレスを登録していただけると幸いです。ホームページには最新版の141号(21日発行)をアップしてあります。http://www.npo2050.org
 
 

2013年3月23日土曜日

どうして人間とは?


 どうして私たちはともするとグループを作り、そのグループの信条に基づいて、他のグループの人々を排除し、殺戮し、糾弾するのだろう? 大昔の「十字軍」、第二次大戦や約20年前のルワンダの「ジェノサイド」、最近間断なく報道されるイラクやシリヤでの爆弾騒ぎや無差別攻撃など、神の名による殺人や「正義」という呼称のもとの暴力が後を絶たない。そして、犠牲者の多くはいつの時代でも一般市民、特に女性と子どもたちであり、兵士ではない。
 最近では、特に、女性を凌辱し、迫害することが攻撃者たちの戦略となっている。犠牲者たちに最大の恐怖と精神的な重荷を負わせ、標的にされたグループの崩壊を狙うものである。許されてはならない、あってはならないことが大手を振って実行されている。
 ひとたび目を経済界に転ずれば、そこの目立つものは「飽くなき貪欲さ」であり、社会的弱者に対する思いやりの少なさ、強者の論理と勝手さだけである。結果として、地球の環境は破壊され続け、異常気象が当たり前となり、大企業のみが「成長」を続けている。消費者の健康や幸福は無視されがちである。経済発展の名のもと、目前の生活条件の悪化には目をつぶり、どの国も、どのグループも口先では環境保全と言いながら、実行となると、その足取りは重い。みな目先の金儲けの方が人類の将来よりも重要だと考えているようだ。その典型的なものが、国際的には「リオ+20」であり、我が国の原発に対する取り組みだ。産業のためにエネルギーを確保しなければと、国民に働きかけ、洗脳をしているが、原子力廃棄物の処理法も、福島原発の爆発で生じた汚染物質の処理も宙に浮いたままである。
 このような状態は今まで何が起ろうと、口先では何かとぶつぶつ唱えながら、本質的な考え方や行動が変えてこられなかったことを意味する。政治指導者たちや産業界の首脳たちが自分たちの主張や行動を正当化し、間違いを認めたり、軌道を修正したりすることを拒否しているからだ。
 もし日本の将来が心配なら、あなたの子や孫を環境汚染や異常気象のおぞましい結果に直面させたくないのなら、私たちは、今までの考え方を180度転換し、人々が安心して住める社会建設のための歩みを始めなくてはならない。どうして、どうせ投資が必要なら、危険極まりない原子力発電ではなくて、安全な太陽熱、太陽光、地熱、風力などのために大量の投資ができないのだろう?どうして、憲法9条を変え、軍隊を保持していつでも戦争に突入できるようにしなければならないのだろう?もし世界に平和をもたらしたいのなら、目先の「お金」の問題のみにとらわれることなく、世界中の女性が男女平等をエンジョイし、強姦されたり、暴力の対象になったり、人並み以下の待遇に甘んじなくてもすむ社会の建設のために、手を貸せないのだろうか?
 私たちはみんなで力を合わせて、平和で思いやりの満ちあふれる社会を作りあげる義務があるのと違うのだろうか?純真で、無垢な子どもたちが安心して住める社会だ。弱いものが迫害を受ける心配をせずに住める社会だ。そのためには、2050の会員の一人一人が、今までの考え方と行動規範を180度変え、周りの人々のお手本にならなくてはならないのとちがうのだろうか?それは自動車や電子機器の使用をひかえて少し不便な生活を始めることであり、飲みたいもの、食べたいものをいつでも腹いっぱい頂かず、「時折」頂くこと、言うべきことはどんどんと発言する、自分のできることを実行する、子どもたちに「愛することや思いやりをかけること」の大切さを教え込むことなどを意味する。それは私たちが社会の規範になることを意味する。
 今迄は男性の作った、男性の都合に合わせた「文化」の中で、一般庶民は、特に女性は、従順を美徳とされ、「お上」の判断に因縁をつけることは許されなかった。その結果が現在の日本社会であり、国民に直面する大問題なのだ。私たち国民が希求する平和とは何なのか、私たちがもとめる安全とはどういうものなのか政治家に知らせる必要がある。それをするのは、私たち有権者、言い換えれば2050の会員一人一人なのだ。これからは、傍観は許されない、自己中心的な考え方と行動は排除されなければならない。東日本大震災は私たちに考え、正しく行動するきっかけを与えてくれる。目先の問題に振り回されることなく、地球の将来のため、子どもや孫の将来のために、よく考えて、行動を起こそう。


2013年3月12日火曜日

どうして出来ないのだろう?


 最近飛び込んでくるニュースは殆どが訃報か友人が病で倒れたという暗いものばかりである。そういう年齢になったのだと言われればその通りであるが、それにしても、個人的にも社会的にも心が晴れ晴れするようなニュースには滅多にお目にかかれない近頃である。

 改めて考えてみると、倒れる人の原因の多くは心臓疾患、脳こうそく、がんなどいわゆる成人病である。それに加えて、骨折、事故などが続いているが、いずれも自分が普段から気を付けていれば避けられるものである。成人病は自分の選んだライフスタイルを15年~20年継続することで引き起こすものである。普段からおいしいもの(高たんぱく・高カロリー)を十分にいただき、ワインなどの晩酌を欠かさず、食後や間食には甘いものをたっぷり、その上、チーズ、クリーム、牛乳などを切らさなければ、私たちはたちまち肥満、高脂肪の体になり、あちらこちらの血管が詰まってくる。そういう食事が健康のためによくないと知ってはいても、普通の人にとって、いわゆる「健康食」に切り替えるのは至難の業である。さらに、「有機の野菜は値段が高い」とか「生活が忙しくて料理に時間がかけられない」などと、理屈を並べ立て、食生活の切り替えを拒否する人も少なくない。何としても、私たち全員が持っている「食べ物に対する執着」が首を縦に振らせないからだ。「野菜を主になさい」とか「玄米は繊維が多いので血液をさらさらにしてくれる」などと言っても、「そんなものを食べるくらいなら死んだ方がよい」とか、「私はチーズだけは止められない」などとのたまわって、多くの人は食生活を敢えて変えようとはしない。そして、成人病で倒れるまで、また、倒れた後でも、自分の嗜好やライフスタイルに固執する。

 生活習慣病で倒れて、そのまま神様のところに行かれる方はよいだろう。だが、一命を取り留め、言語障害を持ったり、半身不随となったりで、リハビリによって社会復帰を図るのは大変な努力が必要である。生活するうえで、他人様のお世話にならなければならないとしたら本人はさぞかしもっと辛い思いをすることだろう。

 この「リハビリ組」の人でも、今までの食生活にすっかり決別し、主食は玄米、副食は少々の有機野菜と豆類、海藻類と、伝統的な製法によって作られた味噌、醤油などの食事に切り替えれば、数か月で体の中の血液がサラサラになり、溜め込んだ脂肪、老廃物、食物の添加物を体外に排泄することができる。つまり、体重はぐっと減り、順調に健康を取り戻すことができるのだ。そして、その健康回復の鍵は「よく噛む」ことにある。少なくとも、病気から回復しようとしている人は、一口200回は噛んでほしい。それからもう一つ。生きている、すなわち、自然=神に生かされていることに感謝し、謙虚に生きることをまなぶことである。

 かくいう私も、52歳の時進行性の胃がんで余命3か月と宣告された。胃の四分の三を切除され、その後すぐに化学療法に入った。ところが、その化学療法そのものが私の自然治癒力を阻害しているとてすぐ中止に追い込まれてしまい、私は死を覚悟した。その時たまたま幸いにも私はマクロバイオティックス(マクロ)によって癌の治療が可能であると教わり、それに命を懸けることにした。マクロは「生きる術」を教えてくれる人生哲学と言えるが、その食事法は上述したようなものである。最初の一年間は非常に厳しい食事法で、命を守り、健康を回復するためにわき目も振らずに専心した。その後は緩やかな「健康食」を続け、がんの再発もなく、30年間お医者様のお世話になることもなく、いたって健康で楽しい生活を続けている。

 もし、健康診断で「血圧が高い」とか「コレステロール濃度が高い」というような警告が出されたら、すかさず、上記のような食事に切り替えることだ。この場合は、病気治しと違って、食事法もそれほど厳しくないし、切り替えにも抵抗は少ない。噛む回数も50-60回位でOKだ。

せっかくこの世に生を受け、有意義な人生を送りたいと思うのなら、病気知らずで、死ぬまで他人様、世界のために、活動することではなかろうか? そしてそのためには自分にあった食事法と生き方を自ら模索し、取り入れることであろう。健康で、満足できる一生を、つまり、子どもたちのために美しい地球を残せるよう、皆で助け合い、勤めよう。

2013年2月22日金曜日

樋口恵子さんの講演を拝聴して 




 2050は、2月16日に樋口恵子さんをお迎えして、超高齢化時代を迎えた日本の社会、そのための対策や考え方などについてお話を伺いました。巧みな話術、新しい視点、ありとあらゆる意味で考えさせられ、感銘を受ける講演でした。日本は本当に新しい時代に突入し、ご指摘のように新しい考え方と新しい政策をもって「大介護時代」に対処しなければなりませんね。

自分が後期高齢者と分類され、物忘れも激しくなってきたことなどから、私としては介護するにせよ、されるにせよ、考えさせられることが多くありました。そのうち「これだけは」という二点を取り上げて皆様と分かちあいたいと存じます。

(1) 先ず私たちが心がけなければいけないことは、私たち自身が高齢者、または、定年退職者と呼ばれる前に、いわゆる成人病の兆候を持たない、健康体でなければならないということです。コレステロール値が正常である、骨密度も低くない、血圧も高くない、特に持病と称するものもない。気分的にも若い人たちに負けてはいないし、いられない。定年になっても、社会のために何か貢献したいと前向きに心を持つことが重要ではないでしょうか? 年齢を重ねれば肉体的な機能はいやでも下り坂になります。これは避けられないことですが、本人の心がけ次第でその速度を緩めることはできます。

 常に健康であり、明るく前向きな心を持っているためには、そのための毎日の努力が必要です。節制のある生活、つまり、自分の欲望を存分に満たす行動はほどほどにしないと、肉体は悲鳴を上げるでしょう。アルコールやニコチンの限りない摂取、高たんぱく、高カロリー食品、添加物がどっさり入った食品、工場で加工・製造された食品、インスタント食品などを毎日食べ続けていれば、体中に脂肪がたまり、臓器の機能は低下し、自然治癒力も低下します。現代の市場によって消費者に対して大攻勢をかけている宣伝活動に誘導されている食生活を10年~15年も続ければ必ず成人病を宣言されます。癌や心臓病を病まず、アルツハイマーにもかかりたくなければ、私たちは、現在の宣伝を鵜呑みにし、少しでも安いもの、少しでも手抜きのできるものを求めるという食生活を根本的に改める必要があります。さまざまな生活習慣病の兆候を示している人々も、生活習慣と食事を改めれば治癒いたします。それは、お医者様にまかせっきりにせず、自分で自分の健康を管理するということです。

 更に大切なことは、私たちが「自分にとって何が大切か、何をしなければならないか」ということを他人任せにせず、自分で考え、自分の健康と将来に責任を持つことではないでしょうか?これをしないと、私たちはある年齢になると他人様のお世話にならざるを得ない介護を必要とする人になってしまいます。

(2)   人が活動的であり、健康であるためには、その人が「生きる目的」をはっきりと持つことが必要ではないでしょうか?私の国連時代の経験が教えてくれたことは、国際社会で大活躍し、功成り名を遂げて引退し、余生を安楽に生きようとした方々の多くが2~3年で亡くなってしまったということです。つまり、引退したことによって、それまで拠り所にしていた「人生の目標」がなくなり、生きる張り合いを失ってしまったからです。

 いくつになっても、世のため、社会のために貢献している、貢献できるという確信が必要です。それは収入を得ることではない、他人様にサービスを提供するということです。自分の特技、活動によって、周りの人々を支えているのだとか、地域社会、老人、子どもたちのために、または、世界の社会的弱者のために一肌脱いでいるといった自覚です。言い換えますと、引退したら、自分だけのために生きるのではなく、「他人様」のために生きるのだという心構えが必要ではないでしょうか?

 2050の中国代表をしてくださっている孫若桓先生は今年97歳です。病気知らずで矍鑠としています。頭脳も明晰で、私たちと山に出かけて植林をします。孫先生の生き方をみていると、粗食で小食。お酒や煙草はやりません。ご飯は、なんでもゆっくりとよく噛んで召し上がります。そして、節制を保ち、正義感を持ち、散歩を欠かさず、環境保全や貧困農民救済のために情熱を燃やしていらっしゃいます。これぞ私たちが見習うべき生き方ではないかと私は確信しています。

 皆様、いかがでしょう。孫先生のような生き方を選択すれば、医療費はかからず、他人様のお世話にならず、輝かしい生涯が送れるのではないでしょうか?

人生の選択は各人が選ぶもの、老後の健康状態も各人の選んだライフスタイルの結果でしかありません。好きなものを食べ、飲んで、他人様のお世話になるのか、それとも、孫先生のように健康でいるのか、これも各人の選択によります。

 

2013年1月25日金曜日

アルジェリアの事件を巡って


 今回発生したアルジェリアの事件を巡って日本政府の対応、マスコミによる事件報道の在り方、またそれに関して「有識者」の対応など様々なことを観察させていただきました。この事件の犠牲になられた方々に心から冥福をお祈り申しあげます。
 結果論ですが、今回の悲劇は、私たち日本人全員が持っている「平和ボケ」、日本政府、特に役人と政治家の持っている大国意識、現行の法制の不備に尽きるといえると思います。
 まず、第一の平和ボケは、私たち日本人は世界中どこに行っても安全だという神話を持っていることと、どんな人でも自分(日本人)には害を与えないという思い込みがあるということではないでしょうか?そのため、世界どんな場所でも必要な自己防衛の手段を講じないし、大使館でもそれぞれに国に当てはまる邦人保護のための安全保護計画や緊急脱出のプランが不備ということ、そして、それぞれの国で友好国大使館と常時安全保障の打ち合わせが行われていないこと、駐在武官がいないことなどなど数えると限りがありません。世界中で日本ほど安全な国はありません。一歩日本を出たら常時危険に遭遇するとの覚悟が必要です。
 第二の大国意識とは、日本のいうことはみんな聴いてくれるという思い込みです。日本が普段からその国のために最大限と思えるような援助、特に、「人間の安全保障」を実践していれば、その国は日本のいうことに耳を傾けるでしょう。反面、自国の景気を理由に、現在のように援助の資金や対話を減らし続けているのでは、どの国でも日本の発言には耳をかさないでしょう。今や、国際社会での日本の発言の比重は非常に軽いものになっているということを政治家たちは明記すべきです。まさに、「情けは人の為ならず・・」です。世界が平和であり、日本がその存在感を示そうと思えば、日本政府は対外援助(ODA)を増やすことはあっても、減らしてはいけません。1520年前の日本は世界一の援助国でした。みな日本の発言に注意を払いました。いまや"Japan passing"の時代になってしまったのです。日本の宰相はこの事実に気づくべきです。
 第三の問題は議論を待たないでしょう。憲法との兼ね合いで「想定外」の出来事に対応できないのが 現行の自衛隊法です。自国民の外国での安全が保障できない自衛隊、飛行機を飛ばすのにも様々な理由をつけなければならない事実、少しでも危険を察知したら引き上げてくる自衛隊… 国会議員の方々に英知を傾けていただいて、日本国民の安全が少しでも保障できるような立法措置をお願いしたいとぞんじます。