2013年3月23日土曜日

どうして人間とは?


 どうして私たちはともするとグループを作り、そのグループの信条に基づいて、他のグループの人々を排除し、殺戮し、糾弾するのだろう? 大昔の「十字軍」、第二次大戦や約20年前のルワンダの「ジェノサイド」、最近間断なく報道されるイラクやシリヤでの爆弾騒ぎや無差別攻撃など、神の名による殺人や「正義」という呼称のもとの暴力が後を絶たない。そして、犠牲者の多くはいつの時代でも一般市民、特に女性と子どもたちであり、兵士ではない。
 最近では、特に、女性を凌辱し、迫害することが攻撃者たちの戦略となっている。犠牲者たちに最大の恐怖と精神的な重荷を負わせ、標的にされたグループの崩壊を狙うものである。許されてはならない、あってはならないことが大手を振って実行されている。
 ひとたび目を経済界に転ずれば、そこの目立つものは「飽くなき貪欲さ」であり、社会的弱者に対する思いやりの少なさ、強者の論理と勝手さだけである。結果として、地球の環境は破壊され続け、異常気象が当たり前となり、大企業のみが「成長」を続けている。消費者の健康や幸福は無視されがちである。経済発展の名のもと、目前の生活条件の悪化には目をつぶり、どの国も、どのグループも口先では環境保全と言いながら、実行となると、その足取りは重い。みな目先の金儲けの方が人類の将来よりも重要だと考えているようだ。その典型的なものが、国際的には「リオ+20」であり、我が国の原発に対する取り組みだ。産業のためにエネルギーを確保しなければと、国民に働きかけ、洗脳をしているが、原子力廃棄物の処理法も、福島原発の爆発で生じた汚染物質の処理も宙に浮いたままである。
 このような状態は今まで何が起ろうと、口先では何かとぶつぶつ唱えながら、本質的な考え方や行動が変えてこられなかったことを意味する。政治指導者たちや産業界の首脳たちが自分たちの主張や行動を正当化し、間違いを認めたり、軌道を修正したりすることを拒否しているからだ。
 もし日本の将来が心配なら、あなたの子や孫を環境汚染や異常気象のおぞましい結果に直面させたくないのなら、私たちは、今までの考え方を180度転換し、人々が安心して住める社会建設のための歩みを始めなくてはならない。どうして、どうせ投資が必要なら、危険極まりない原子力発電ではなくて、安全な太陽熱、太陽光、地熱、風力などのために大量の投資ができないのだろう?どうして、憲法9条を変え、軍隊を保持していつでも戦争に突入できるようにしなければならないのだろう?もし世界に平和をもたらしたいのなら、目先の「お金」の問題のみにとらわれることなく、世界中の女性が男女平等をエンジョイし、強姦されたり、暴力の対象になったり、人並み以下の待遇に甘んじなくてもすむ社会の建設のために、手を貸せないのだろうか?
 私たちはみんなで力を合わせて、平和で思いやりの満ちあふれる社会を作りあげる義務があるのと違うのだろうか?純真で、無垢な子どもたちが安心して住める社会だ。弱いものが迫害を受ける心配をせずに住める社会だ。そのためには、2050の会員の一人一人が、今までの考え方と行動規範を180度変え、周りの人々のお手本にならなくてはならないのとちがうのだろうか?それは自動車や電子機器の使用をひかえて少し不便な生活を始めることであり、飲みたいもの、食べたいものをいつでも腹いっぱい頂かず、「時折」頂くこと、言うべきことはどんどんと発言する、自分のできることを実行する、子どもたちに「愛することや思いやりをかけること」の大切さを教え込むことなどを意味する。それは私たちが社会の規範になることを意味する。
 今迄は男性の作った、男性の都合に合わせた「文化」の中で、一般庶民は、特に女性は、従順を美徳とされ、「お上」の判断に因縁をつけることは許されなかった。その結果が現在の日本社会であり、国民に直面する大問題なのだ。私たち国民が希求する平和とは何なのか、私たちがもとめる安全とはどういうものなのか政治家に知らせる必要がある。それをするのは、私たち有権者、言い換えれば2050の会員一人一人なのだ。これからは、傍観は許されない、自己中心的な考え方と行動は排除されなければならない。東日本大震災は私たちに考え、正しく行動するきっかけを与えてくれる。目先の問題に振り回されることなく、地球の将来のため、子どもや孫の将来のために、よく考えて、行動を起こそう。


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