2012年9月16日日曜日

いのち 9

 いのちを健やかに・・・と考えるとき、いのちを育て、守る食べ物を頂く必要に関しては前編に述べた通りである。だが、それは何をどうやって頂くかというちょっとした「決定」又は工夫を必要とする。その決定は、たとえ小さいものであろうと、生まれてこの方叩き込まれてきたもの、知識、経験に基づいているし、その決定のなされる時点での心のあり方に左右される。間違った選択をしないためには、私たちに健全な知識とこころの平静さが求められる。


 人というものは、生きている限り、外部からの刺激に絶えず反応し、振り回されている。それはお天気であったり、美しい景色であったり、騒音やおいしそうな匂いであったりして、私たちは無意識に、またある時には、意識的に反応を示す。その反応は人を次から次に連想に誘い出したり、何かしらの行動を起こさせたりする。そしてこれが際限なく続くので、人の心はなかなか集中できない、間違った選択をする、いらいらする、など休まる暇がないということになる。

 私たちは絶えず物忘れしたり、外からの刺激に過剰に反応したりで悔やむことが多い。他人様の話をきいて、自分の価値判断で直ぐに決めつける、裁く、責めると言うようなことを繰り返し勝ちである。自分の意見や価値基準と違うものに対しては寛容ではない。無意識に行っているのは自己の正当化であり、差別であり、不寛容である。これが日常行われているのが「いじめ」であり、洋の東西を問わず、有史以来行われてきている戦争と殺し合いである。これと反対に、どの様な意見を聞こうとも、世の中の人は必ず自分とは違う意見を持っている、100人いれば100の違う意見があると理解すれば心は平静である。まさに、金子みすずの「みんな違ってみんないい」という精神である。そこに、自分より弱い立場にある人々や気の毒な人々に対する「思いやりの念」があれば、あなたのオーラは平和なものであろう。そうなると、あなたは常に正しい選択をし、周りの人々に平安なエネルギーを発することになる。

 私たちは絶えず「現在」に集中することなく、次から次へと考えを飛ばし、結果としていらいらしたり、間違いをしたりすることを繰り返す。そして、物忘れをしたり、他人さまといさかいをしたりする。心がこういう状態だと、私たちは衝動的な行動を取ったり、後悔をするような決断を下したりすることが多い。つまり、いのちを大切にするような行動はなかなかとれない。

 いのちを育むためには、心が絶えず平静であり、自分の周りの全生命に対して思いやりをかけ、全ての安寧の為に祈り、そのために必要かつ可能な行動をとることが求められる。どうすればその様な状態を入手できるだろうか?

 私自身の経験では、座禅や瞑想が役に立つ。とくに「ビパサナ瞑想」が効果的であった。この瞑想によって比較的容易に集中力とこころの平静が得られる。すると判断が正しいものとなる。自分の執着や好き嫌いによって生活が振り回されることが少なくなる。更に、それによって、世の中のありとあらゆる生命に対して「愛」をもって接することを覚え、いのちを育むことを身につけることができるようになる。自分が「生きている又は生かされている」ことに感謝し、謙虚に、ほどほどに生活すれば、自然を大切にしよう、いのちを大切にしようという気持ちを持つだろう。そして、自分の言葉が、行動が、他人様や自然に対して大変な影響力を持っていることに気付くであろう。何をすれば、少しでも他人様の為になるのか、または、世界やまわりの社会に貢献できるのかということにも気付くものである。それを行動に移すと、それが「生きがい」になる。

 私の数多い友人の中で、健康で、長寿で、医療のお世話になることの少ない人たちは例外なく、「功成り、名を遂げた」後に何かしらの社会貢献をしている。いのちを全うするのには、先ず心が絶えず平静で、謙虚な生活をし、生き甲斐を持つことであろう。

 私たちのいのちのあり方を決めるのは私たちが何を考え、何をするかにかかっている。それは政府でも、政治家でも、医師でもない。あなた自身なのだ。

 健康を守る上で欠かせないのが「運動」である。身体を動かそう。できれば週二、三回は運動しよう。散歩でも、スポーツでも、家事でもいい。身体を使うのだ。避けなければいけないのは、一日中テレビにかじりついて安楽な生活をすることだ。これは痴ほう症への近道である。

 さあ、みんなで健康で楽しく生活しよう。そして、少しでも美しい地球を子や孫たちに残していこう。

2012年8月30日木曜日

いのち 8

 この世の中、どんな人生を送るのか?何を目的として生きていくのか?


それが何であろうと、先ず心がけならないことは「心身ともに健康で、病気にならないこと」ではなかろうか?若いうちは、ともすると、自分が病気になるとか、死ぬとかについては余り考えず、心の命ずるままに食べ、飲み、活動し、精いっぱい生きていこうとする。そして、「健康管理」などということは心の片隅に追いやられているのでなかろうか?でも、人間、常に健康で元気でなければ何も成就出来ないのは明白の理である。無茶な生き方をしていれば、時を経ずして必ず病気になる。そして、それは時として「ガン」であったり、成人病と呼ばれる糖尿病や心臓まひであったりする。ガンなどの病気となると、普通の人は慌てて病院に駆けつけ、手術、化学療法、放射線治療、などと現代医学のお世話になるのが普通である。しばらくすると、医師から「はい、あなたの体内からガン細胞が消えました」という御託宣を頂く。しかしながら、非常に多くの場合、同時にあなたの免疫力・自然治癒力そのものが一連の対ガン治療で低下し、その御託宣の後間もなくこの世におさらばというケースが多い。

 こう考えると、私たちは「生き方=健康管理」に対する認識を根本的に変える必要があることに思い至る。つまり、あなたが生きていく上で、どう生きていくのか、どうすればいつでも健康で、活動的でいられるかということを普段から考え、お医者さんや薬品のお世話にならずに済むかという「すべ」を身につけなければならないということである。 

 人が健康に生きていく上で留意しなければならないことは、少なくとも三つある。その一は、何をどうやって食べるかということである。その二は、普段どの様な「心がけ」で生活をしていくかということ、第三は身体を動かす努力をすることである。

 こう並び立てると、案外簡単だなと思われるかも知れないが、実行となると迷いが出たり、「理性」や「科学的知見」が働いたり、執着や他人の意見に振り回されたりされ勝ちである。

 先ず第一番目の食事について考えてみよう。私たちが毎日食べるものが生きて行くうえで不可欠であり、食べたものが体質や気質を形づくっていくことに関しては議論の余地はないであろう。つまり、お菓子や果物など甘いものや、水っぽいものが好きな人はいつの間にかぶくぶくと肥って、どちらかと言えば、ニコニコとしている。その反対に、肉類が好きな人は固太りで、非常に活動的であると同時に直情決行型の人が多い。そして多くの人は、肉類が好き、甘いものも好き、アルコール類もよく飲む、そして、健康維持のための乳製品や薬品類も多用している。つまり、現代人は心の命ずるままに飲み、かつ、食らいて老いていく。そして、引退の時期になると、アルツハイマーやパーキンソンなどという厄介な病と直面せざるを得なくなり、他人様のお世話になって余生を送る破目になる。これは自分が夢に描いた「楽しい人生」であろうか、それとも、無意識に楽しく過ごした日々の結果が「悲劇」として終わるのであろうか? この選択はあなた自身が手遅れになる前にしなければならない。

 健康に生きようと思ったらそのための決意と努力が必要である。でもこれは大げさなことではない。一言でいえば、飲食に関しては必要な知識を仕入れ、生活を「ほどほど」にということにつきる。

 日本という土地で生まれ、そこで、健康で満ち足りた生活を志すのなら、先ず私たちの食生活において、口に入れるものは、住んでいる場所(日本)で生産された「旬」のものと言うことである。そして、これは、パイナップルやバナナは食べない、冬にはナス、トマトやキュウリなど夏の野菜は頂かないということを意味する。そして、生産され、販売されている食品は無農薬、有機農法によるものが望ましい。主食は出来る限り、精白されない全粒の穀物、つまり、玄米、が最も望ましい。味噌や醤油は有機、国産の大豆を使って時間をかけて熟成されたものを選ぶ。大根やニンジンは根の部分だけではなく、葉の部分も頂くことが推奨される。工場で生産され、添加物だらけの食品、白砂糖を多用したケーキ類、動物性蛋白やアルコールの摂取はなるたけ減らす、食事に際しては腹いっぱい食べず、お腹が満腹する前の80%位でやめておく、口に入れた食物は、最低50回くらいは噛むと言ったことを実行すれば健康と長生きは約束される。つまり、日常の生活においては贅沢な食事をせず、栄養価の高いものだけを食べず、全てほどほどに、質素に食べようということである。当然のことながら、ファストフッドやジャンクフッドは避けた方がよい。

 NPO2050の中国代表をしている孫若恒教授は今年97歳になる。彼は我々と共に山に登り、植林をし、現地の農民たちを指導しているバリバリの現役の方である。彼の食生活は「少食、質素、良く噛む」ことに徹していて、病気知らずである。

 私たち人間は宇宙や自然環境からのエネルギーなどの影響を受けて生きている。これらに関しては余り選択の余地はなく、人間が選べるのは「何を毎日食べるか」ということ位である。そして、その選択が一人ひとりの健康状態を決めて行く。つまり、自分の健康と生命は自分で守るということである。だが「選択」となると、自分の欲望、嗜好、執着、世間や学校で刷り込まれた科学的知見、医師や薬品会社の言い分などなどに振り回されて、何をどう食べるのかなど考えるのが面倒になりがちである。そうなると、これは第二の「心がまえ」または心の持ち方の問題となる。これは、この次に論じよう。

2012年8月18日土曜日

いのち 7







人と生まれても、いのちを比較的に「ないがしろ」にされているグループの人たちがいる。それは開発途上国に貧しく生まれた若い人たちだ。若い男女とは10歳から24歳までの年齢層で、世界に約18億人いる。この人たちは平均1日¥150前後で生活することを強いられ、そのうち1億人は学校にも行かしてもらえない。理由は「貧困」だからだ。国連事務総長の最近の報告によれば、「2010年末には7510万人の若者が雇用されておらず、雇用されていても1億5200万人は給料が低く危険な仕事についている・・・2000~09年には、後発開発途上国に住む20~24歳の女性の31%が18歳以前に出産している・・・毎日15~24歳の3000人がHIVに新規感染している。多くの思春期の少女や若い女性は性的な暴力や虐待に曝されている・・・アフリカでは1億~1.4億人が女性性器削除を受けている」とのことである。当然、少女の人身売買や児童婚も数限りなく見られる。

 元気に満ち溢れてはいるが、読み書きが碌に出来ず、定職もなく、毎日ブラブラしている若者たちが町にあふれ、集まって、興奮を求めるとなれば何がおこるであろうか想像するに難くない。そこに見られるのは社会不安であり、往々にして部族間の抗争であり、この様な若者を利用しようとする様々なグループである。そして、必然的に危険に曝されるのは同年代の女性たちである。そして彼らのいのちがいとも簡単に消えていく。多くの途上国の政情が不安であり、世界に争いが絶えないのも「むべなるかな」である。

 世界人口の1/4に当たる若者たちが年齢に応じて学校に行くことができ、世の中の秩序を守ることを覚え、まともな職に就くことができ、その上自分たちやまわりの人たちのいのちを大切にすることを学べば、世界は確実に平和に向かって行く。そのため、国際社会は事あるごとに、若者に教育を、職を、リプロダクティブ・ヘルスをと決議している。でも、現実は決して途上国の若者のたちにとって生易しいものではない。彼らが聞くのは常にスローガンであり、見るのは厳しい現実である。そして、政治家の不作為や私たちの無関心が彼らの信頼感を損ね、いのちを粗末なものとしている。

 国際社会は、MDGsの目標実現に向けてそれなりの努力を重ね、ある程度の成果を見せている。だが、私たちの努力は満足ということからは程遠い。彼らにとって必要なのは、1)正しいリプロダクティブ・ヘルスの情報であり、必要とするサービスの入手である。2)いのちを育み、健康に生活するための食料と情報の入手である。3)世の為に貢献する若人を育成する教育であり、職業訓練である。そして、4)男女を問わず、お互いに助け合い、慈しみ合うと言う精神構造である。これは、現在の国際社会の支援のあり方ではたやすいことではないが、やりようによっては効果を上げることが出来る。それは、先進国の若人たちを動員して、ピアー・エジュケーション(若者同士の相互啓発・支援)や人間開発プロジェクトを積極的に導入することだ。日本の「青年海外協力隊」やアメリカの「平和部隊」はその先駆けとなり得るし、様々な民間組織も途上国の需要に応えるプロジェクトを支援出来る。世銀や国連諸機関、先進諸国の政府が民間組織と手をつなげば、必要な資金、技術を提供できるし、お互いの長所を生かして、途上国の問題解消や政情安定にも寄与できる。そして世界が少しずつ平和に向かう。これはやれば出来ることである。

 各国の若者を動員して、正しい食べ方や生き方の勉強をさせればHIVや他の感染症に対して有効な対処ができる、教育の普及を図ることで児童婚や女児の虐待を減少させることが出来るし、女性に対する不平等や不当な扱いを減らして行くことが出来る。更に、教育は若者たちを社会の有用な人物に育てることができる。要は、こういうお手伝いが出来る人たちが「手を伸ばす」のか伸ばさないかにかかっているのだ。世界で不遇をかこっている若者に充実した人生を送らせ、世界の将来を明るいものにするのか、それとも、今の逼塞した状態に放置しておくのか、全て私たちの考え方や地球の将来にどう対処するのかという決意が重要なカギを握っているのだ。

 さあ、私たちは何をすれば良いのだろう? 今まで通り、自分のことだけ考えていれば良いのか、それとも、皆で世界の将来を明るいものにするために一歩踏み出すのか、この辺で決めなければならない。日本の若者が立ち上がり、世界平和の魁となることを願うのみである。





2012年8月1日水曜日

いのち 6

若し貴女のご両親が「うちは貧乏な上に、貴女は女の子なんだから」という理由で、学校へ行くこと、お医者さんにかかること、ご飯を男の兄弟と一緒に十分に食べることなどを否定した場合、貴女はどう感じますでしょうか?また貴女はどの様な人生を送ることを許されていると思いますか?貴女はたいていの場合、家庭内の男性の意思に振り回され、栄養不良で発育不全、人間としての存在を否定されるような経験を強いられるでしょう。先ず、読み書きのできない、自分の意思をはっきり述べることの出来ない半人前の存在で、水汲み、炊事、洗濯、家畜の世話などに従事し、長ずるに従って男性から「子どもを産む道具」としか認められない人生を送ることになるでしょう。そこには人間としての尊厳も基本的人権もありません。自由意思も許されません。5-6歳くらいから踊りを習わさられ人前で踊ることを強要されたり、売春をさせられたり、時には借金のかたとして歓楽街に売り飛ばされることも良くあります。


 アフリカ大陸あたりですと、戦争がおこり一国の軍隊が攻め込んできますと、戦略として、その土地の女性たちを兵士たちが片端から凌辱することが良くあります。また、女性性器削除や家庭内での「名誉殺人」、胎児が女性と判明した場合の中絶などなど、女性を標的にした男性からの不平等な仕打ちは数限りなくあります。この分では女性の命はいくつあっても足りません。

 現在、世界では2分ごとに一人の女性が妊娠・出産に関した疾病で亡くなっています。これは妊産婦が誰でも医療の恩恵に預かれば避けられることです。ですが、それが難しいのです。理由は?僻地に住む貧乏な女性の命を守ろうという政治的な決意が為政者(男性)の間に欠けているからです。先進国に住む私たちに、途上国貧困女性たちの運命に対する関心と思いやりの精神が欠けているからです。

 上に述べたことは南アジアからアフリカにかけて日常見聞できることのほんの一部です。日本の様に社会開発が進み、教育や保健制度の発達した国では想像もつかないようなことがまだまだ世界の女性の健康と命を脅かしています。私たち日本人が途上国の女性たちの為に出来る最低の事は、少なくとも、彼女たちが天命を全うすることができるようお手伝いすることではないでしょうか?日本が戦後社会開発を成し遂げたその教訓や経験を途上国の支援に役立てましょう。途上国の女性たちが新しいいのちを産むために自分の命をなくすことがないようにお手伝いをしましょう。そのためには、日本は国際社会で指導的な立場をとり、家族計画・リプロダクティブ・ヘルスの普及を図り、そのための国際支援を増額すべきではないでしょうか。日本の経済力から考えると僅かなお金で世界中の女性の命が救えるようになるのです。

 世界が平和になるためには、世界中のいのちが育まれ、人為的な理由や不作為によって人命が損なわれることがないということが大前提となります。具体的には世界中の女性が健康で、不平等や不合理に悩まされる事がなく、健全ないのちを産み、育むことの出来るということです。そして、家庭内で、地域社会で、子どもたちにお互いに愛すること、思いやりの精神を持つことを教えることでしょう。そのために、今必要なのは、女性に対する偏見や不平等を撤廃し、恵まれない女性たちに支援が行きとどく世界を作ることです。また、女性の声が世界の政治や経済で尊重され、政策に反映されることです。日本の国民と政府はかっての様に国際社会で音頭取りをしましょう。途上国の貧しい、恵まれない女性たちのいのちを救うためにODAを増額しましょう。そして、子どもたちの将来が安泰であるよう、世界中で殺しがなくなり、女性が不当な扱いを受けない社会を築くよう、皆で一歩踏み出しましょう。







2012年7月19日木曜日

いのち 5

 現代人は思い込みや偏った生き方をして寿命を縮めているとしか思えない。どんどんと飛び込んでくるマスコミの一方的な情報や「科学的で分析的」な医学上の情報に基づいて、身体が処理しきれないほどの量の食品添加物や化学薬品を、更に、自分が食べたいと思う食品を際限なく取り入れている。つまり、飽食であり、美食の極みを尽くしている。加えて、アルコールやジュース類の摂取量も大変なものである。タバコを吸う人もかなりいる。


 言い換えると、世の中の人は大部分が好き勝手な食習慣とストレスの多い生活習慣を取り入れ、心の安らぎを得ることが少ない生活を強いられている。そして、それらから逃れる術を知らないか、知ろうとしないように見受ける。そんな生活を15年も続ければ肥満、成人病は避けられない。つまり、好き勝手な生活をして、寿命を縮めているとしか言いようがない。

昔から、年をとっても健康で活躍している人たちを見ていると、例外なく、素食、少食であり、咀嚼も一口50~70回と、良く噛んで、時間をかけて食事をしている。お酒をたしなむ人もいるが、それも、酔っぱらうほどは飲まず、ほどほどである。このような人たちは例外なく人生においてやり遂げる使命を持ち、他の人の見解や考えに常に寛大であり、思い込みや自己主張が少ないように見受けられる。他人を裁かず、思いやりをかけ、ニコニコとしている。そして、彼らの存在そのものが周りの人たちに大きな安らぎを与えている。

最近の報道で大きく取り上げられる問題に1)被災地からの瓦礫の受け入れ反対という声と、2)「いじめと自殺」という二つがある。これらの問題は島国、地域社会、「お家」などに根差した「文化」そのものであり、自分たちの利益だけは守り、不都合なことは排除し、隠蔽するという特性を持っている。つまり、「瓦礫」の場合は「自分たちの地域社会の利益を守ろう、他の地域の人々の苦痛などにかまっていられない」という自分本位な意思表示である。まさに「何をか言わんや」である。

他方、「いじめ」は、日本国中、時代や年齢に関係なく、ありとあらゆるグループで大昔から行われてきたことである。村八分がその良い例であり、日本国中で、学校でも、会社でも、どんなグループでも、それを観察することができる。誰でも友達から揶揄され、悪口を言われ、意地悪をされた経験を持っている。つまり、日本人は異分子を嫌い、2-3の人が音頭を取り、自分たちの生き方にそぐわない人たちを糾弾し、気に入らぬ人をいびる。積極的にいじめに参加しない人たちは「見て見ぬふりをして」問題を悪化させる。そして, いじめが如何に陰湿であるか、残酷なものであるかと知っているのにも関らず、誰も声をあげて止めさせようとはしない。そして、いじめに関して罪悪感を持ちあわせていない。政界を見ても、日常の生活でも、助け合うとかお互いに思いやりをかけるなどという精神構造は希薄である。皆、知らぬ顔をし、責任をとらされないように隠蔽し、自分を守ることのみに汲々としている。

有識者がテレビで様々な分析や解釈をし、文科省がどうの、教育委員会がどうの、学校や先生たちがどうあるべきかなどと意見を述べているが、これは学校や教育委員会だけに押し付ける問題ではなく、国民の一人ひとりが責任を感じて、問題を解決しなければならないことである。つまり、各家庭で、子どもの成長過程で、小中学校を通じて、意地悪やいじめは許容されてはならないと教えるべきである。いじめられ、排除される子どもがいたら、その子たちの為に立ち上がり、保護の手を差し伸ばす社会正義感を全員にたたき込まなければならない。隠蔽や不作為を許さないという文化を作り上げなければならない。そういう意味で、お母さん方、先生方の特別な努力が必要である。皆で慈しみあってこそ平和な社会が生まれ、人々は幸福になれるのである。職場でのいじめはパワーハラスメントやセクハラ対策をしっかりととり、個人の人権を擁護する努力が必要である。同時に、各人がそれぞれの独立した意見を持ち、それぞれの行動規範を持っていることを認識し、自分の意見や価値観を押し付けないように留意しなければならない。違いを認め、それを受け入れるのがいじめをなくす唯一の方法である。
いのちを大切にし、お互いに慈しみ合い、万人が平和に暮らして行く為には、日本中の人が自分たちのグループの利益のみを守るのではなく、全員の為に一肌脱ぐという覚悟と、「弱きを助け、強きをくじく」という義侠心が必要である。

どうであろう、原発の問題も含め、私たちは「いのち」大切にし、お互いに思いやりをかけ、助け合うことが出来るようになれるのだろうか?それぞれ自分の心に問いかける必要があるのではなかろうか?

2012年7月10日火曜日

いのち 4

現在ほど地球上の全生命が脅かされている時代はないのではなかろうか?天災(地震、津波、台風など)、人災(火災、殺人、戦争、原発事故、交通事故など)、異常気象(干ばつ、水害、土砂くずれ、竜巻など)が毎日のニュースをにぎわせ、実に多数の人命が失われている。そしてこのような状況が私たちの「いのち」に対する感覚を大変に麻痺させているのではなかろうか?加えて、私たち市民も命を大切にしているかと問われれば「当り前よ」という返事が返ってくるが、実生活においては、全て「あるがまま」で、病気療養中の人たちを除いて、特別にいのちを大切にしているという兆しは余り見えてこない。世の中のお母さん方は当然家族の健康に留意するが、それも経済的な条件によって左右されているのではなかろうか。つまり、いのちを育むのは毎日頂く食事であるが、日頃食糧を買うに際して、「少しでも安いものを」という傾向があるようにみられる。食糧を購入する場合の判断基準が「これが自分の命を育んでくれる」というより、比較してどちらが安いとか、多いかということになりがちではなかろうか?確かにエンゲル係数は家計の中で大きな比率を占めるので主婦としては最も留意することのひとつだろう。でも、それで良いのだろうか?


スーパーやデパートなどで売られている食品は見た目にもきれいで、食べても口当たりが良く、しばしば安価である。身体や健康に良いと言われる食品は概して値段が高く、見た目もそれほどでもない。ただ味は本物であり、工場で作られたものや、近代農法で大量生産された食品は足元にも及ばない。多忙な現代人が面倒臭いと思うことは、健康に良い食品は自分で時間をかけて料理をする必要があるということだ。従って忙しい人は、自分の健康を気にするよりは、スーパーやコンビニで販売している食品に依存するということになりがちだ。

いのちを育み、体にとって有益な食品とは、一口に言って、農薬や化学肥料を使わずに作られた野菜類、汚染されていない動物性の食品、食品添加物を含まない加工食品などであろう。まあ昨今では稀有の食品とも言える。でも、このような食品は探せば必ず見つかる。有機農法による農産物を売り物にしている店、自然食品店などを訪ね歩けば必ず見つかる。

命を育み、健康を守るために私たちが心得なければならないのは、そのための知識を仕入れ、それを実行するということである。いくら忙しくても、時間を割こう、実行しよう。実行すれば確信が持てるようになる。医者のいうことやテレビの宣伝を鵜呑みにしていたら命はいくつあっても足りるものではない。

2012年6月23日土曜日

いのち 3



 6月8日に野田首相は「国民の生活を守るために」原発の再稼働が必要であると発表した。そして、それは夏季に限定されず、中長期的に原発が維持されると明言した。その理由として再稼働が「国民生活を守る」上に必要であり、大飯原発の再稼働がないと「突発的な停電により病院などで生命の危険にさらされる人が出る」可能性を挙げ、そして、「福島を襲ったような地震、津波が起こっても、事故を防止できる対策と体制は整っている」と述べた。

 私は首相の論理、結論を素直に受け入れるのには大きな抵抗を感ずる。一つには「想定できる」事故に対する体制が整ったと言っているが、事故とは全て「想定外」ではなかろうか?国民生活を守ると言っているが、国民、特に福島県に住む子どもたちの「いのち」そのものに対する放射能対策は見えてこない。福島原発の事故から国民が学んだものは、事故が起こった場合の関係者たちの自己防衛本能が国民にたいする配慮をあと回しにしてしまうという傾向であった。首相の発表に見えるものは、現在の経済活動を維持するという決意であって、必要なエネルギーは主として原子力に頼るという主張である。原発の廃棄物をどう処理するのかとか、原子力発電の廃絶、安全な再生可能なエネルギーに転換するというような話は示されていない。これでは恰も現存する設備に頼って行こう、新しい安全な投資はしないということで、「すべて今まで通り」に他ならない。本当に国民の命や生活が心配なら、何故原子力廃棄物やCO2の心配をしなくても済む地熱発電や太陽熱発電、風力発電を本気になって推進しないのだろう?国民は節電をしてこの夏を乗り切る覚悟は出来ているのだが、政府は最も安易な方法でこの夏を迎え、国民の持つ真の心配には何ら応えないという態度である。

 現在から将来にわたって国民の健康と生命を脅かす「放射能」の脅威にどう対処するのだろうか?政治家には、その場しのぎではなく、百年の大計を持ち、国民と世界の将来のために長期的な視野に基づいて国を治めてもらいたいものである。政治家が「政治生命を賭けて」何かを推進すると言うのは簡単である。

 広島、長崎、福島と三度放射能を浴びた国民が何を考え、何を欲しているのか本当に分かっているのだろうか?国民投票を挙行して国民一人ひとりが何を欲しているのか政府は明確にすべきである。国民全員が同意出来る方法と政策を打ち出し、安全な、平和な社会を築くのが立派な政治家であろう。