2014年12月30日火曜日

年の瀬に思うこと


 今年は様々なことが起こった。そして、2014年もいよいよ終わりだ。もうすぐ年が明け、我々は新しい覚悟と信念を持ってやるべきことをやり、言うべきことを言わねばならない。

 今年で一番記憶に残るのは、生まれ変わった2050だ。旧来の運営方針を捨て、新しい人達の感覚と経験に基づき、新生を期し、ようやくその活動に自信がついてきた。次は自民・公明内閣による急な衆議院解散と選挙、そしてその結果としての投票率と人々の期待感や失望感、次々と起こる異常気象・天変地異とそれらのもたらす人や財産に対する損害、相も変わらぬ国を挙げての「お金」への執着、考えることは他人(ひと)任せの国民性、政治家や官僚の「その場限り」の対応等、数えだすと限りがない。従って、年末はゆっくりと日本と世界の将来を案ずる時間を持ち、対策を練ろうかと思う次第である。

 ごまめの歯ぎしりで、いくら我々が喚いても大部分の人は、「わが道を行く」とか「俺が、俺が・・・」と聞く耳を持つまい。そして、日本は、世界は、静かに終末に向けて歩を進めて行くだろう。でも、2050は諦めない。やるべきことと言うべきことは実行し、心ある人々と共に世直しをするつもりだ。ただ一つ、神様にお願いしたいことがある。それは、今度の選挙の結果を盾にとって、国民から白紙委任状を頂いたとて、政治家が好き勝手な政策を国民に押し付けることが無いようにと言うお願いだ。首相が選挙の争点にしたのは「アベノミクス」であり、憲法改正ではない。原発再稼働でもない。集団的自衛権でも、近隣諸国とのお付き合いの方法でもない。もう一つ、付け加えたいのは、首相の一言一句が、政治指導者たちのちょっとした行動が、日本の行方を左右するということだ。彼らが靖国神社の参拝を続ければ,そして、靖国神社が戦犯の霊を分祀しない限り、どのような弁明をしようと、日本は右傾化していると解釈される。一国の宰相や、国民の安寧に責任を持つ政治家として、50年~100年先を見据えたビジョンに基づく慎重な言動を期待する次第である。

 来る年は、2050からのメッセージが皆さんに沢山届くことになると、会員の皆様にはご覚悟願う次第である。事務局は地球の行く末に危機感を持って国民の皆様の啓発に心がけるつもりである。「またか、うるさいな」と片づけず、一読して頂いて、少しでも共感するところがあったら周りの人たちと共有し、討論して頂きたい。それが、地球の将来を守る第一歩だからだ。

 次にお願いするのは、額の多少に関わりなく、自分の出来る範囲内で私たちの活動の為の拠金・募金活動にご協力をと言うお願いである。一番安いのは毎日コンピューターを開いたら、必ず、2050のホームページを見て頂いて、なにか新しいことを画策しているのかと検索して頂く事と、コスモ石油の(http://www.cosmo-oil.co.jp/kankyo/charity/index.html)を開いて頂いて、
コスモ石油エコカード基金の支援によるプロジェクトの中から「シルクロード緑化」をクリックしていただくことだ。すると、あなたに代わって、エコカード基金が1円献金してくれる。

 資金の豊富な方々には、シルクロード緑化プロジェクトの目的達成のために必要な投資をお願いしたい(乞2050のホームページ参照)。それほど裕福では無い方々には、世の中から不公平と貧困をなくし、環境を保全するために、年6,000∼10,000円程度の出費を、支援をお願いしたい。皆様からの支援によって多くの貧困女性が、子どもたちが、人並みの生活を夢見ることが出来るようになるし、大気中の二酸化炭素を軽減し、次の世代の人々が安心して住める地球を築くことに貢献できるようになるのだ。

 さあ、みんなで築こう健康で安全な世界。そして、皆でにこにこと暮らそう。

 

2014年11月24日月曜日

再生可能エネルギーの買取り


 電力会社が太陽光などの再生可能なエネルギーの買取りを拒否するという動きが最近のマスコミをにぎわせている。一体全体、日本と言う国のエネルギー政策はどうなっているのだろう?政治家、官僚、電力会社が一致団結して原発の再稼働を推進し、そのために、ありとあらゆる選択肢を封じ込めようと知恵を絞っているようにしか見えない。原発再稼働を既定方針とし、そのためにありとあらゆる説明と言い訳を用意している。九州川内の原子炉再稼働に賛成という地元、県知事などを見ていると、すべては「お金」のため、という意図が見え見えだ。

 何故これらの人達は「人の命」や安寧を無視し、今までの投資を無駄にしたくないとて、目先の経済的な効果のみを追求するのだろうか?福島の悲惨な経験から何の教訓も得なかったのだろうか?これから大災害は起きないとか、または、起きても対応できると確信しているのだろうか?何が起こってもすべてに迅速に対処できるという自信を得たのだろうか?どう見ても、人の命よりお金の方が大切だという考えが先行しているようにしか見えない。

一つだけはっきりしているのは、これから何を選択してもお金がかかるということだ。廃炉にするのにも、地熱発電所を建設するのにも、大変なお金がかかるだろう。原発継続でも廃棄物の処理に莫大な投資が必要だし、最終的な処理法も確立されていない。これからのエネルギー開発のための出費は政府と電力会社によって究極的には消費者にしわ寄せされる。消費者にしてみれば、どうせお金を払わされるのなら、いのちが安全で、子や孫たちの将来を心配しなくて良い方法を選びたいというのが本音だ。

 政府は再生可能エネルギーを原発に変えて取り上げるべく、すぐさま、国を挙げて取り組むべきだ。一部の人達が経済的に潤うことを目的とせず、将来の日本国民全員が安心して住める社会の為のエネルギー確保という考えで、色々なアプローチをすべて国民に提示して、原発再開との優劣を示すべきだ。複数の選択肢を示して欲しい。現在のように、送電線が足りないとか太陽光は天候に左右され過ぎて供給が不安定だなどという言い訳は聞きたくない。また、原子力発電を途上国に売り込むのもやめて欲しい。あくまで人命優先であって欲しい。ともかく、今地球は環境問題で大変な曲がり角に来ている。今必要なのは100年先を見据えた政策と投資で、目先の問題解決ではないのだ。我々国民としても真剣にこの問題を考えなければならない。

2014年11月4日火曜日

行動の時が来た


夏が終わりに近づいたと思うと、台風が次々と日本列島を襲ってきた。17号、18号、19号と、これでもか、これでもかという有様だ、我々は只管土砂崩れのないことを祈り、人命が損なわれることの無いように願うのみだった。でも、木曽の御嶽山で爆発があり、多数の人命が損なわれた。救命活動が台風の為に損なわれた。世界中で「異常気象」が通常になり、北半球で被害が続発している。

市場では野菜が品薄になり、価格が上昇している。電力会社は太陽光発電による電力を買い控え、地熱や風力発電による電力を増やすのだと言っている。これらの切り替えには時間がかかる。その間をつなぐのは「原発」だろうか?どうも最近ではお役人さんにも電力会社にも原発再開が当たり前というような気配が濃厚である。目先の利益と問題解決を狙っているとしか我々には映らない。増え続ける廃棄物や不手際、爆発の可能性、人の命に対する脅威、避難を余儀なくされた福島の人々の生活の保障など、解決しなければならない問題は山積しているが、関係者は送電線の確保とか買取り価格だとか、目先の問題ばかり取り上げて、人の命に関係ある問題に関しては先送りである。電力会社に働く人は大命題である「利潤の確保」に狂奔しなければならないかもしれないが、役人はそれでは困る。政治家は国民の命を守るような手段も講じなければならない。

今のように、「ほどほどの生活程度」を保って二酸化炭素の排出を抑えて行けば、原発の再稼働に頼らなくても、安全なエネルギー確保のために時間を稼げる。各自治体は公共交通機関を再配備して、庶民が自家用車を乗り回さずに済むようにすべきだ。新規火力発電は禁止しよう。地熱発電は有無を言わさず推進しよう。各家庭は屋根に太陽光発電や太陽熱発電のパネルを設置し、自分で消費する電力を確保できるように支援をしよう。要は全国民がその気にならないと、現在の異常気象は悪くなりこそすれよくはならない。私たちは地球が今大変な危機に直面しているのだと悟るべきであり、必要な対応手段を講じなければならない。IPCCが11月2日に発表した報告書は世界全体の温室効果ガス排出量を2050年までに半減すべきと断じている。この環境問題は「他人任せ」では絶対解決しない。各個人が自分の生活程度を見つめて、エネルギ-の消費を少しでも減らす努力をする必要がある。

「後悔先に立たず」である。今必要なのはよく考えて、行動を起こすことである。皆さんの一人ひとりが自分の子どもや孫たちの将来に責任を持っていることを自覚しよう。

2014年10月24日金曜日

国連デーに思うこと


 10月24日は国連デーである。それは一体何を記念して設けられたのかわからぬ人が多い。それは一言で言えば、「国連のお誕生日」である。あの悲惨きわまる第二次世界大戦が終わり、世界中の国々が集って「これからは平和な世界を築こうよ]と末永く祈念するために生まれたのが国連デーなのだ。

 あれから70年にならんとするこの世界。幾らかでも平和になったろうか?人々は笑顔を絶やすことなく生活できるようになったろうか?世界中の人々に十分な食糧はとどいているのだろうか?我々が吸い込む空気、飲み込む水、口にする食品は安全なのだろうか?世界のどこに住んでも人間としてまともな生活が保証されるようになったろうか?男女間の差別は、人種間の差別は?貧富の差はどうだろう?ところが私たちが今専念していることは、自分たちの主張を声高に言い張ることと、お互いに殺しあうことのようだ。

 このような現実を控えて、国連加盟の政府は毎年集まって、解決策を論じ、ああしよう、こうしようと決議をしている。でも、成果は?と問われるとどの政府もどの国際機関も胸を張って返事はできない。ある程度の進歩は認められるものの、最近の国連決議の中でこれが大成功だと言えるものはない。

この不甲斐なさというか不完全さの原因はどこにあるかというと、それはいま世界を覆っている経済最優先という考えにある。世界中の人が「お金、お金」と狂奔し、その行動のもたらす影響に頓着しないからだ。そして、もう一つの大きな原因は、数ある国連加盟国のうちで、世界中の人達を幸福にしようなどと考えているのは殆どないということだ。殆どの加盟国は自国の国益(利益)という観点からすべてを判断している。わが日本の政府はその典型例だ。日本はかっては世界一の支援国。それが今ではどんどんと滑り落ちている。1997年度のODAは1兆1687億円。それが今では5500億円と半額になっている。特に国連を通じてする支援はどのような「国益」をもたらすのかとはばからない。これは目先の利益だけを取り上げて、50年~100年先の人類や世界のあり方や、日本が将来受けるであろう恩恵や「本当の国益」を十分に考慮していない現れだ。実に情けない国に成り下がったものだ。

これも、我々国民が何を求め、どんな世界を子孫の為に残していくべきかというようなことを考え、それを為政者に伝えていないことを物語るものである。

今世界の政治情勢も、環境問題も、あらゆる社会問題も破局を迎えんとしている。手をこまねいていていいのだろうか?皆で考え、行動を起こさなければ後悔をすることになる。皆さんのご意見を伺いたいものだ。

2014年10月1日水曜日

世の中にはいろいろな生き方がある


 

ネパールの「鳥も通わぬ」山奥の村々。一歩一歩踏みしめて、深い谷を渡り、急な山々を越えて、人々の悩みや苦しみ、生活上の問題に耳を傾け、どうしたら村人たちが自力で問題解決を図れるのかと相談にのっている人がいる。彼はいわゆる「コンサルタント」でもなければどこかの企業や団体から派遣された「専門家」でもない。彼は村人たちからの求めに応じて、村人たちがどうすれば直面する問題を片付けることができるのかというお手伝いをしているのだ。彼の仕事は「助けて」あげることではない。村人たちと直面する問題をあらゆる面から検討するのだ。そして、彼らが自発的に行動を起こすのを待つ。村人たちが行動を起こし、解決に乗り出す場合に、もし地元で調達できない物資などがあれば、それを調達する役目を引き受ける。


この人が持つものはリュックサックと帳面一冊、それに、数枚の着替えと洗面道具。それが彼の全財産だ。その他には、「気の毒な、困って人を助けるのは当然でしょう」という利他愛というか人類愛、とても並みの人には比肩出来ないような謙虚さ、それに不言実行という行動力である。歩いている姿は土地の農夫と見分けがつかない。口にするのは、土地で採れる穀物と野菜、つまり、農民と同じものを食している。煙草もアルコールも嗜まない。一か月の生活費は約\1,000で、彼のふところに入るお金は全て農民たちの為に使われている。

彼はネパール中部パルパ地方に住み込んですでに20年、100以上ある山奥の村々を一つずつ歩き廻っては農民たちの民生向上、人間開発の助けになっている。農民たちが少しでも誇りをもって生活し、助け合い、そして、心配なく暮らせるようお手伝いをする。それが彼の生きがいであり、人生における使命である。

村人たちの求めるものは、生活していく上で欠かすことのできないものの確保である。つまり、子どもたちの教育、飲料水や給水設備、学校建設、診療所設置、トイレの普及、コミュニティセンター設立、図書館設立、若者クラブや母親クラブの設立、植林、収入や生活向上のための技術習得など数限りないが、これらを一つずつ話し会い、責任の区分をはっきりさせ、不正や腐敗の入る余地がないように、村人全員がオープンな事業経営に参加し、それぞれの責任分担を決めるようにする。そして、村人たちは、今では、自分たちの求めたものを自力で設立し、字の読み書きができるようになり、場所によっては電気や動力(携帯電話やコンピューター)をも入手している。

母親クラブに対するマイクロクレジットにより、その利子で、奨学金制度を設けて、人並みの生活をとても望めないような貧困家庭の子女たちに、高校や大学に進学する機会を与え、人生の夢を持たせ、開発の主流に参加できるように、女性の地位向上を実現している。さらに、貧困であるが故に小学校にも行かせてもらえない子どもたちのために「ジョラ基金=ランドセル基金」と称する、1万円の投資が子ども一人の小学校卒業を保証する制度を設け、人々の将来の為に投資をし、希望を持たせている。更に、多くの村々で遭遇する火災、経我、病気などの緊急支援のために「マヤ・コ・ビュー」と称する制度を作り、現金を全然持たない、貧困にあえぐ人々の助けになっている。彼は人々から「OK バジ=OK 爺さん」と呼ばれ、皆から敬愛されている。

OKバジのモットーは「一日一捨」である。それは、自我と執着を捨て去ることであり、自分の価値観を他の人に押し付けることなく、非常にシンプルな生活を旨とすることである。彼は全くの「無私・無欲」で、名声も、地位も、名誉も、報酬も求めない。彼が求めるのは人々の笑顔だ。携帯電話も事務所も持たず、手伝う職員もいない。それでいて、彼は支援者たちに時宜を得た報告を提出する。勿論、手書きで直筆だ。

OKバジは垣見一雅という名の日本人だ。このような日本人を私は見たことがない。いや、世界中見渡しても、このような人はまずいない。村人たちは彼のことを「あの人は神様だよ」と心から尊敬している。子どもたちは彼が村に入ってくると「OKバジが来た」と大喜びする。同じ日本人の一人として、このような人と知り合いになれ、共に働く機会を与えられたことを私は無上の喜びとする。

ネパールでの最近の政治闘争(政府とマオ派)で国中が開発活動の中止を余儀なくされたときに、唯一活動を続けられたのはOKバジだけだ。外国からの支援中止を求めたマオ派に対して地域の住民がOKバジの擁護に立ち上がったからだ。

 以上のような活動をだまって続けているOKバジには、求めなくても応援団が出来る。ネパールでOKバジの仕事を見聞した人や、彼に接した人は必然的に彼の支援者となる。彼はネパールの雨期に山道が崩落したり、道路が寸断されたりて、村々が孤立する6月と7月の二か月間は帰国し、日本中をお礼と報告でまわっている。実際に彼の報告を聞く機会に恵まれた人は、心を動かされる。彼は声高に人類の融和や世界平和を説くことはない。ただ黙って他人様への奉仕を続けている。彼からにじみ出る穏やかな人格が周りの人々を「人助け」へと誘う。従って、日本の各地にはOKバジの為に生活をきりつめてでも支援をしたいと思う人々が増えてきている。こういう人々が集まってこそ世界は少しずつ平和になって行くのだろう。

世の中には様々な生き方がある。それぞれが自分の価値観や尺度によって、「これが私の生き方さ」ということにこだわっている。でも、それが現在の地球上にはびこる諍いや、後を絶たない自然破壊の原因になっていることを忘れている。私たちがいま必要とするのは、OKバジの爪の垢を煎じて飲むことだ。みんなが「俺が、私が…」と主張せず、少し謙虚になり、少しでも自分より気の毒な人々の為に一肌脱ぐことを覚えれば地球の将来は明るくなるだろう。

皆さん、いかがですか、世の中が少しでも平和になることを祈ろうではありませんか?人々がにこにこと生活できる世の中を築くお手伝いをしませんか?

 

 

 

2014年8月29日金曜日

8月15日を迎えて


第二次大戦が終わり、満69年を迎えた。その間色々なことが起こった。様々な経験を積んだ。驚くようなこと、つらいことも沢山あった。でも、今ふり返ってみれば、この国は昔に比べて豊になった。終戦時のあの荒廃ぶりを思い出せば夢のようである。

国民は、初めは「食うために」必死になって働いた。世界の状況に左右され、わが国の経済は相当振り回されたが、いつの間にか「世界二位」の経済だと言われていた。そして、今やそれが沈滞状態である。外交的には様々な強国の間で「けんつく」を喰らいながらでも、少しでも豊かにと政治家も国民も必死である。一方、我々の豊かになる為の努力の副産物として、我々は自然を破壊し、環境を大変に損なってきた。今や、人々は異常気象だ、大気汚染だ、大洪水だ、山崩れだと右往左往し、多数の生命や財産を失うようになっている。でも、誰もこの異常気象の原因を作ったのは自分だとは意識しない。同時に、一部の政治家たちは自国や同盟国を守るためには「集団的自衛権」を持たなければならないと張り切っている。だが、それに関する情報も議論も殆どなく、国民は一方通行の道をまた歩かされるのかと心配である。

振り返ってみると、今まで日本国民の大多数は「お上」の言うこと、会社の方針、上司や先輩の言うことに非常に従順で、敢えて自分の意見を持とうとはしなかったのではなかろうか?我々は示された目的を達成するのには必死で、自分の従事している仕事がどのような影響を社会に与えているのかについては比較的無関心であったような気がする。自分たちが行っている活動が50年先、100年先の子孫たちにどのような世界を残していくかについてもあまり考えない。要するに、我々には自分で考え、判断する、そして後に続く世代に対して責任を持つという姿勢が欠けているのだ。子育てに関しても、一般の親は、「勉強しろ、いい学校に入れるように」と尻を叩く、そして、一流企業や官公庁に就職して経済的な安定を目指せと叱咤激励だ。そだてられた子どもたちは目先の利益を追うお利口さんに育つ。そして、世に満ちるのは,「自己中」の人々だ。今、我々に必要なのは、国民が真剣に考えること、自分たちの将来、子どもたちの将来について議論をつくし、適切な決断を下すことではなかろうか?

集団的自衛権や憲法改変に関する動きでも、私たちは、第二次大戦による戦死者が212万人、空襲による死者が24万人(朝日新聞)だということを噛みしめる必要がある。この他に、広島、長崎の原爆、離島で死に追い詰められた人々、更には、日本が戦争を始めたために殺され、苦しめられたアジア諸国の人々は無数であることを肝に銘じなければなるまい。

世界には「永世中立国」を名乗る国が相当数ある。有名なのはスイス、オーストリア、コスタリカあたりだが、それぞれ、いろいろな事情を抱えながらもそれなりの努力をしている。彼らが目的とするのは「平和」だ。彼らが尽くすのは外交努力だ。一旦緩急あればすぐ銃を片手に飛び出そうというのとはちょっと違う。今の日本での(禄にない)議論を聞いていると、自衛隊に属する兵士たちが戦争に駆り出され、死ぬようになると人々は余り思っていない様に見受けられる。日本は永久中立を国是とできないのだろうか?世界に誇るような立派な憲法がありながら軍隊を持ち続け、「売られた喧嘩は買うぜ」と宣言しなければならないのだろうか?

人々がいつまでも平和を享受し、思いやりと慈しみをもって助け合う世界を築くのが現在の我々に課せられた責務ではなかろうか?この世界では、人々は全く違う環境や価値観の下で暮らし、それぞれの文化に基づいた幸福を追求している。つまり、それぞれが異なる意見を持ち、自己主張をしがちである。でも、それをしていると現在のように収まりがつかない世の中になる。違った意見を持ち寄って、妥協点を見出し、お互いが完全ではなくても、満足できる解決策を探る努力はしなければならない。それが国際協力であり、世界平和ではなかろうか?空也上人の言ったように、「俺が、俺が、の我を捨てて、お陰、お陰の偈に生きよ」という生き方を採用しよう。先ず、国民の間で議論しよう、納得しよう。そして、それが次世代の為に一番良いという生き方を選ぼう。それが私たち市民にできる世界平和建設の努力だろう。どう思いますか?

2014年7月31日木曜日

変わりゆく日本


最近の日本の変わり方を見ていると、なんとなく自分の成長過程に重なってくるように思える。そしてそれが私に不気味な予想と暗示を与える。従って、私は鬱々として、楽しい気分にはなれない。

私が生まれたのは昭和6年(1931年)である。当時日本は満州事変を引き起こし、国を挙げて国威発揚、軍備拡張に血道をあげていた。そういう世論を反映してか自分には「勝秀」などという勇ましい名前がつけられた。その後、日本は日支事変へ、そして、第二次世界大戦へと突入していった。アメリカに宣戦布告をしたのが昭和16年、私が小学4年生のときである。

当時は「鬼畜米英を駆逐しろ」だの「大東亜共栄圏を建設」などというスローガンの下、国民には考えることなど許されず「お上」の言うことを天からの命令とて拳々服庸することが期待されていた。小学校4年からは、「健康優良児」になれ、少年航空隊に入隊を志せと毎日のように刷り込まれた。

昭和18年には伊豆下田近郊の蓮台寺にある県立豆陽(とうよう)中学に入学し、寄宿生活を始めた。だが、すでに当時の戦況を反映して、中学校の講堂には軍人たちが起居しており、校庭は掘り起こされて芋畑に変換しつつあった。上級生たちは沼津の海軍工廠に学徒動員で駆り出され、我々新入生は、下田近くの海岸、須崎、に建築中であったレーダー施設の防御壁建設と、米軍の本土上陸に備えて海岸線に建築中であった地下壕の建設に駆り出された。海岸で土嚢運びをしていると必ず米軍の艦載機に機銃掃射を食らった。夜分は必ず「空襲警報」が発せられ、着のみ、着のままで防空壕に退避を余儀なくされた。かくして、私どもは勉強どころではなく、毎日空き腹を抱えて重労働に従事し、睡眠不足に悩まされていた。

昭和20年、私が中学2年の時に終戦になった。原爆が広島と長埼に投下され、数十万という国民が犠牲になった。日本中の都会が2-3の例外を除いて空襲にあい、多数の命が失われた。終戦の8月15日は夏休みの最中で、前日の14日に近隣の稲取という町が空襲にあい、多くの犠牲者が出た。私は稲取の親戚を見舞うとて、叔母と二人で山を越えて稲取に出かけた。到着してみると、「戦争が終わった」という、そして、天皇陛下が、これからは「耐え難きを耐え、忍び難きをしのべ」と国民にご詔勅を下さったという。稲取で終戦前日の空襲で破壊された惨状を見、奪われた市民の命を思うと、なんともやりきれない悲しみと空虚さに取りつかれたのを今でも鮮明に思い出す。

夏休みが終え、寄宿者に帰ってきた我々若者たちを待ち受けていたのは食糧難であった。戦争が終わってつくづく良かったと思えるのは、もう夜中に防空壕に退避しなくて安眠できることであった。でも、食糧難にはつくづく参った。寄宿舎の賄には食糧の貯えが禄になく、出てくるものと言えば我々が「天井粥」と呼んでいた重湯みたいなお粥と、大豆のしぼりかすのパン。いくら食べ盛りの若者たちでももてあます代物であった。そのうち占領軍が日本人は糖分不足だからと、カロリーを補えと砂糖を放出してくれた。賄では、砂糖は料理のしようがないと、各自に砂糖を配分し、私たちは自分たちで「カルメラ」を作りそれを食した。だが、学生たちはたちまち栄養失調を起こし、体中に湿疹が出たり、階段を四つん這いになって上がったりする始末であった。かくして、私と同年配、または、それ以上の人々は成長期には食糧不足、勉強しなければならない時には重労働で、まともな「人間安全保障」とは無関係の生き方を強要された。経験したのは国家の名における考え方を無批判に受け入れることと国民の人命の軽さであった。

その間、我々は米軍から「平和憲法」を頂き、戦争に無縁の国家に生まれ変わった。しばらくして、朝鮮半島で戦争がはじまり、日本は米軍の補給基地となり、食糧も徐々にゆきとどき、国民の生活も少し落ち着いてきた。同時に、「警察予備隊」が設立され、憲法9条の拡大解釈が始まった。

その後、東西冷戦があり、世界各地で殺し合い、紛争が頻発した。殺し合いは今でも続いているし、人々は自分たちの主張を声高に繰り返している。世界は今やアメリカ、中国、欧州に振り回され、各国は自国の権益を守ることに懸命である。わが国でも、平和憲法を変えたい、それがだめなら、9条の解釈を拡大し、集団的自衛権を!という掛け声で政府与党が平和国家日本を普通の喧嘩が出来る国家に変革しようと画策中である。心配なのは国民が、このような事態を「自分で」考え、将来をどうすべきかということを今迄のように他人任せにすることである。

我が国には、考えるのは「お上」または「上司」、国民や部下は従うのみという文化がある。その文化が今までは功を奏してこの国に繁栄をもたらし、我々はある程度の豊かさを満喫してきた。その為の国民の判断の基準が「お金」であり、経済性である。経済活動を活発化するためには原発再稼働しかないと言われればそうかと思う。命の重さはどうなんだという発想にはなかなか結びつかない。

今我々に必要なのは、すべての情報を公開して、国民全部で、日本の将来はどうあるべきかという討論であり、決断である。一部の政治家だけに任せておける問題ではない。国民の一人ひとりが良く考えて、責任をもって、わが子、わが孫の将来を決めて欲しい。

少なくとも、私の経験をこれからの世代には繰り返して欲しくない。若いうちには思いっきり勉強し、健康な体で、世界のために、世の為に貢献してほしい。充実した人生を送り、満足して一生を終えることを祈るのみである。