春分の日に岐阜県高山市を訪ねた。そこで図らずも見聞したのは、昔懐かしい「鬼は外、福は内」と、地域の人々が鬼や福に扮して、自分たちの地域を回っている姿であった。
日本人は古来「鬼」は何を意味し,「福」とは何を求めていたのであろうか?私の勝手な解釈では、島国の狭い地域社会で暮らす人々が避けたいのは「独りよがりの自分勝手な人」で、「福」とは「周りの人々に安心感をもたらす思いやりのある人」ではなかろうかということである。
春分によって改まる2016年はただならぬ年となり、私たちに様々な警告、苦痛、損害をもたらすこととなろう。それも全て「地球規模」の大きなものである。収まることの無い大気温暖化によって引き起こされる異常気象は最早「異常」ではなく、人々の願いを空しくして大規模な天災・人災を引き起こしている。世界各地では水不足に、大変な乾燥に見舞われ、同時に大水害も経験している。洋上の島国は水没の危険に絶えず曝されている。アジア・アフリカの沿岸諸国は海水位の上昇で耕作地をどんどんと失っている。かくして、人類は前代未聞の危機に直面しているが、人々はそれらを余り深刻に受け止めず、学者や政治家も環境面で警鐘を鳴らす人の数は限られている。
世間の人々が気にするのは株価、収入、暮らしぶりと言ったところで、2050年から2100年にかけて私たちの子孫がどのような運命に弄ばれるのかなどには考えが及ばない。
どうです、皆様、これで良いのでしょうか?これから「鬼」で過ごしますか、それとも「福」に徹しますか?一市民として、人の親として、地球の将来に少しでも責任を感じ、何かしらの対応策を持ちませんか?政治家や官僚が何の行動をも起こさなければ、市民がやるしかありません。地球の将来を救うため立ち上がりましょう。
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