先日、家人や友人たちから85歳の誕生日を祝った頂いた。その時の偽らざる感想は「私の人生での一つの節を迎えた」ということである。振り返ってみれば、国連で30年、NPOで25年、今までの人生85年のうち55年間を「開発・環境保全・貧困削減」のために過ごさせて頂いた。今や、体力も落ち、忘れっぽくなり、他人様に迷惑をかけることもふえてきた。先日の天皇陛下のお言葉を拝聴して「まさに同感」と膝を打ったものである。
来年三月末でNPO2050の活動を終了し、その後は、家内と二人で、「他人様のため、次世代のため、更に、神の意志をなるたけ多く具現」するために個人として余生を生き抜く決意が固まった。そのためにせねばならぬのは、多くの人に語り掛けること、相談すること、出来ることを実行することであろう。
しかしながら、私が先ず心がけなければならないのは、なるたけ多くの人が「思いやる心」を持ち、全てあるがままに受け入れ、自分の価値観で他人様を裁かぬよう、そして、助け合いの手を伸ばすよう語り掛けることである。途上国で貧困のため苦吟している女性たちが少しでも教育を受け、人並みの生活が出来るようになれば、世界は自ずから平和になるだろうし、殺し合いも減るだろう。それ故、私は息のある間は、途上国の貧困子女・女性のエンパワーメントに専心したい。これは簡単には
実現しないであろうが少なくともこちらはある種の達成感を持ってあの世に行くことが出来る。
こうやって思い返せば、自分は満足すべき人生を送ってきたのだと実感できる。有り難いことである。
来年三月末でNPO2050の活動を終了し、その後は、家内と二人で、「他人様のため、次世代のため、更に、神の意志をなるたけ多く具現」するために個人として余生を生き抜く決意が固まった。そのためにせねばならぬのは、多くの人に語り掛けること、相談すること、出来ることを実行することであろう。
しかしながら、私が先ず心がけなければならないのは、なるたけ多くの人が「思いやる心」を持ち、全てあるがままに受け入れ、自分の価値観で他人様を裁かぬよう、そして、助け合いの手を伸ばすよう語り掛けることである。途上国で貧困のため苦吟している女性たちが少しでも教育を受け、人並みの生活が出来るようになれば、世界は自ずから平和になるだろうし、殺し合いも減るだろう。それ故、私は息のある間は、途上国の貧困子女・女性のエンパワーメントに専心したい。これは簡単には
実現しないであろうが少なくともこちらはある種の達成感を持ってあの世に行くことが出来る。
こうやって思い返せば、自分は満足すべき人生を送ってきたのだと実感できる。有り難いことである。