2012年5月29日火曜日

生きる 1

 5月13日は「母の日」である。世の中に「母」の子に注ぐ愛情、その代償を求めない愛情ほど大きなものはあるだろうか?人の持つ愛情には様々なものがある。人類愛、気のどくな人たちに対する思いやり、男女間の愛などと世の中には様々な形の「愛」がある。それぞれの愛の深さというか高さというものには、個人差があるが、母親の自分の子どもに対する愛は比較にならないほど深いものがあるのではなかろうか?


 母親の子どもたちへ注ぐ愛情、思いやり、慈しみといったものが世の中に満ち満ちていれば、世の中は和やかであろう。反面、この母の愛が十分に行き渡らないような条件が増えてくると社会は住みにくくなり、人の命も軽く扱われるようになるのではなかろうか?実際今の殺伐とした世の中を観察すればこのような見方が正しいのではなかろうかという気がしてくる。日本の学校教育のあり方、グローバル経済の非人間性、政治家に良く見られる自己中心的な人々や集団の増殖、女性や弱者に対する暴力や不平等、などといったものが環境破壊を引き起こし、人の命を軽んずる風潮を作り出し、世界各地で悲劇を撒き散らしている。そして、人々はそれらを現実として受け入れ、防御態勢を整えている。そこに欠けているものは愛であり、慈しみであり、思いやりである。

 世界を平和なものにしたいと思うのなら、先ず我々は母親の愛にこたえなければならない。母親に対して感謝の念を持とう、その思いを口に出そう、そして周りの人々に優しくしよう。「いのち」を大切にしよう。何にも増して必要なのは、女性に対する偏見、不平等、不公平を社会から除去する為の努力をすることだ。世界中の女性たち、特に、途上国で苦吟している女性たちや母親たちに思いやりをかけ、救いの手を伸ばそう。途上国の母親たちに貴女の愛を支援という形で表わそう。それが貴女の子どもたちの時代を平和にする礎となるのだから。