2013年11月17日日曜日

虚偽表示


 日本人の金儲けに対する執着がこんなにあるのかと、改めて思い知らされたのは最近の「虚偽・不当表示」に関する報道によってだ。殆どの関係者は口を揃えて「騙すつもりはなかった」といっている。当人たちは何とでも言える。やりきれないのは、無邪気に騙されて高い料金を払わされている消費者だ。なんとしても恐ろしいのは、みんな嘘をつくのが日常茶飯事になっているということだろう。昔から、官僚は自分たちに都合の悪いことは言わないということはよく知られている。政治家の話はどこまで信じて良いのかわからない。今度は経済に従事する人たちだ。一流のホテル、百貨店、レストラン、おまけに楽天だとかJR北海道など加えると、嘘を言わない人の数はごく少数ということになる。これでは、国際社会で日本人は「嘘つき人種」とレッテルを貼られてしまうだろう。

悲しいのはこれが「日本文化」だとすると、日本に将来はないと結論付ける人が圧倒的になるだろうということだ。誰も信じられない、自分も信じられなくなる。日本の将来も信じられない。「正直の頭に神宿る」とか「朋友相信じ・・・」などは死語になり、他人を騙すことが日常茶飯事になってしましい、後に残るのは砂漠のような荒んだ心だけだ。これでいいのだろうか?良いはずはないよね。

良くないとすれば、何をすれば良いのだろう。先ず、科学万能で、目に見えることのみ信ずるという現在の「教育」のあり方を根本的に変える必要があろう。そのためには、文部科学省の人づくり教育を徹底的に洗い直す必要があろう。人の親は今までの「神」不在の子育ても見直さねばなるまい。宗教家をもって任ずる人たちは「重大な局面を迎えた」とて立ち上がるべきだ。庶民は、グローバル経済に振り回されている自分たちの生活を、「金ではなく」、愛と信頼に基づいたものへと変換させていかねばならない。先ず、経済発展のためにはエネルギー確保だ、そのためには原発も推進しよう、化石燃料も確保しようという方針は改めるべきではなかろうか。これを続けていれば大気温暖化・異常気象はどんどんと進むし,子どもたちの将来の安全を保証することもできなくなる上に、我々の騙し合いにも拍車がかかってくるだろう。

とはいっても、政治家は経済発展一本槍だろうし、役人は簡単には動くまい。日本を良い方向に変えるためには、各家庭がそれぞれ愛と信頼に基づいた子育てを実践するしかない。そのためには、お母さん方の自覚と想念転換を祈るしかない。女性がその気になれば世間は変わる,子どもたちも立派に育つ。国際社会における日本に対する信頼性もましてくる。

女性よ、お母さま方よ、頑張れ!日本の将来はあなた方が握っている。

2013年11月4日月曜日

人生とは


 「人生とは遠き山に登るが如し」と昔の人は言った。目的地に到達するまでには一歩々々歩み、様々な経験を積まねばならない。楽しいこともある、苦しいこともある。絶望することもあるだろう。今の世の中では、ともすると、良いことなんて一つもない、私は不運だ、俺は駄目なんだ、世界の終焉も近い、というような否定的な考え方に取りつかれてしまいがちになる。

何なのだろう、人生とは? それは毎日の出来事を個人的に経験することに他ならない。その毎日の出来事を肯定的に捉えるのか、否定的に捉えるのか、または、あるがままに受け止めるのか、それとも、自分の思う通りにさせようかと思うことによって、個人の人生に対する反応は随分と違ってくる。例えば、個人的には耐えきれないと思うような経験でも、それは「将来への教訓」と受け止め、その教訓を生かし、将来へのジャンプ台と解釈すれば、そう悲しむこともないだろう。更に、失恋だって、本人がもうこの世の終わりだと思い込むだけで、まさに執着に振り回されているに過ぎないのではなかろうか。神様から「あなたにはもっと素晴らしい人が別にいるよ」とささやかれているのかもしれない。

私達は不完全な世の中に、不完全な人たちに取り囲まれて生活している。そのため、私たちが経験することは殆どが「傷もの」である。この世の中には完全無欠のものも完璧な人間も存在しない。だから、何を経験しようと、焦れたり、怒ったり、がっかりしないことが肝要だ。すべてをあるがままに受け止め、受け入れよう。要は、私たちが、自分の規範に則って人間は、「かくあるべきだ」と決めつけず、他人を裁かず、みんな違う価値観や行動規範を持ち、自分や自分たちの利益を守っているのだと理解すればよいということだ。他の人はみんな自分以外の人を裁き、決めつけていると理解すればよいのだ。自分の経験を教訓にして、それをバネにすれば良いのだ。そうすると飄然と生きることができるようになる。

いやな経験でも、それは瞬時に過ぎ去っていく。それに囚われないことだ。囚われると、目先の問題に振り回され、自己否定をし、ウツになりがちだ。世の中に永遠に続くものはない。楽しいこと、いやと思われること、すべてが瞬時に起こり過ぎ去っていく。そういう精神的、肉体的な経験がすべて瞬間的であり、それらを経験しているのだと認識すればよいのだ。それ故、人生というのは瞬間的な経験の連続であり、その経験をどう活かしていくかにかかっていると言えよう。あなたの人生とはあなたが経験するものをどういう風に受け止め、それをどういう風に自分の人生の夢を実現するために応用するかにかかっている。

自分の利益実現のみに専心し、他の人の考え方や価値観を排除する生き方と、他の人々との共存共栄を考え、周りのすべてのものや生物に思いやりをかける生き方の間には大きな差がある。更に自分は「生かされている」と認識し、すべてに感謝し、謙虚に生きようとすれば、そこには、ウツが入り込む隙間はない。結局は、人生とはあなたがどのような解釈と判断を下し、いかにして自分の経験から得た教訓を「自分の人生の目的」達成のために使うかにかかっているといえよう。

さあ、あなたはどのような目的と生き方を選ぶのかな?